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井出正人著『満天星』より その8 -山村川内の幕末史 正信の手記-

 満天星の重要な舞台になった長福寺も除染の真っ最中。寺の前の道から見上げても樹木に隠れて本堂をのぞむことはできなかったが、現在はこんな感じだ。これでは隠れ家にならないね。根はそのまま残っているから、来春は新しい芽が出て、いずれまた若木が蔽うだろう。

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 今回は、父親や祖父から伝え聞いた幕末の川内村を書き記した正信氏について、正人氏が回想します。
『 井出正人著『満天星』より その8 -山村川内の幕末史 正信の手記-

 ここに父正信の手記がある。
父正信は若い頃木炭の研究に没頭し、木炭の権威者、大竹亀蔵(石川町出身)に師事し、師と共に大竹製炭窯を完成。福島県庁に迎へられ、戦前戦後、県下全域に亘り、木炭製造と指導員、検査員の養成に当る。退職してからは天山文庫下の木間々庵にて自由気儘な生活をし、草野心平先生や長福寺住職矢内俊晃師らと交流していた。平安藤源一滴善童女のこけし形の墓碑もここでこつこつ刻み建立した。

          【写真:心平さん(右)と井出正信さん】
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 正信は明治二十三年生まれであるから祖父惣兵衛、祖母カクからの話しを直接きいてそれを手記に残していた。

 十六日の暑さのさかり。上川内に入り途中羽貫立の山中にてお姫様が落命し、そのお姫様をお供の人が背負って字早渡につき、私(井出正信)の家の墓地に葬り、お姫様遺品のわきざし(三条宗近の銘あり)を私の家にて保存してあります。縁者もなきこの山の墓地に眠って居られるお姫様の供養をしなくてはならないと言い伝い、お盆、お彼岸には祖母につれられて墓参りをしましたが、其の度毎に祖母は子守歌のような節で、

 相馬いのしし
 仙台うさぎ
 三春たぬきに、だまされた
 勝てば官軍、敗ければ賊軍

 と口ずさみながら香花を供えていました。

 其の後昭和三十七年に過去帳にお戒名が記載されてあることがわかり、三十八年に平市長諸橋久太郎様にお願いして墓碑の戒名を揮毫して頂き墓碑の建立が出来たのであります。 』

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