大熊町の高野ヨシから電話をいただいた。声を聞くのは昨年ハチロー君の梅林のメンテナンス以来。ほぼ一年振りだ。
高野ヨシさんの家は福島第一原発からたった3.5kmしか離れていなかった。
震災直後にご家族と一緒に大熊町民の避難場所になった田村市へ逃れ、その後、親類を頼って日立市へ移ったとのことだ。そこで様子を見ていたのだが、大熊町には当分帰れそうもないと諦め、他の場所でもう一度農業をやることにした。千葉県市原市借家を探してようやく土いじりができるようになったが、喜びはなく、時間が経つほど郷愁が募りって故郷に戻りたくてしょうがないそうだ。
みんな帰りたいんだ。帰れるということがどれだけ恵まれているか・・・。
暖かくなったら、みんなで川内村に集ってピクニックでもしよう!
高野ヨシさんの家は福島第一原発からたった3.5kmしか離れていなかった。
震災直後にご家族と一緒に大熊町民の避難場所になった田村市へ逃れ、その後、親類を頼って日立市へ移ったとのことだ。そこで様子を見ていたのだが、大熊町には当分帰れそうもないと諦め、他の場所でもう一度農業をやることにした。千葉県市原市借家を探してようやく土いじりができるようになったが、喜びはなく、時間が経つほど郷愁が募りって故郷に戻りたくてしょうがないそうだ。
みんな帰りたいんだ。帰れるということがどれだけ恵まれているか・・・。
暖かくなったら、みんなで川内村に集ってピクニックでもしよう!
2012/01/27 (金) [未分類]
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