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才能が評価されるためには

才能は評価される。しかし、必ず評価されるかというと、そうではない。どちらかと言えば、評価されない場合の方が多い気がする。

【写真:齋藤昭蔵氏の木工作品】
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ところで、才能って一体何だろう?
才能とは人よりも秀でた能力のことだ。走るのが早いのも才能だし力が強いのも才能だ。音楽なら正しい音程で歌えることや大きな声を出せること、美しい声が出せること、楽器を巧みに操れることなどが才能になるだろう。

美術だったら、新しいデザインをつくることや対象を忠実にコピーすることや本質的なところを引き出すことなど。それらを人よりも早くやれることも才能だろう。そして才能は感動を呼ぶ。

それらを集めて形に凝縮したものがアート作品だ。
才能と、才能をコントロールするアーティストの人格が投影されている作品というのは、才能が優れていればいるほど、評価されるのが当然のはずなのだ。

では、どうして評価されるべき才能や作品が理解されないとか、評価が低いということが起こるのだろうか。

理由は二つあると思う。
ひとつは、才能や作品との接点がないこと。もうひとつは、受け取る側の理解力が足りないこと。このふたつの原因は絡み合ってスパイラルになっている。接点がないから理解力も備わらず、理解力が備わらないから接点も増えない。この状況を、才能あるアーティストたちは「自分の作品が理解されない」と嘆く。

だが、こんなことになっている責任は、実はアーティストにあると代表は考えている。

というのは、アーティストは、自分の作品は説明しないでも理解できるはずだと思っている。解説を必要とするような作品は恥だと考えている。だから解説なんかしない。

見る側は、作品の解説を聞きたくても、質問すると無知をさらけ出して恥ずかしいと思うから聞けない。せっかく作家と作品と鑑賞者が同じ場所に居ながら、三すくみで固まって動けない。これではアートが評価もされず、アートの市場などできるわけがない。

どんな商品であれ、商品の素晴らしさをアピールし、理解してもらわなければ売れない。アートも、まず、アーティストから語りかけて、アートの素晴らしさを理解してもらって、鑑賞者の鑑賞眼を養ってやるべきなのだ。自分のために、もっともっと一生懸命に、真剣に解説し、売り込みすべきなのだ。審美眼が、やがて本物の才能、作品、人格を評価するようになる。

才能や作品と出会うきっかけと場。それはひとの駅の役割だ。

コメント

私もそう思います。
作家は自分の領海から大海原に出てないだけで、知らないんだと思う。
橋渡しができるといいですよね。
DMのデザインありがとうございました。
生意気なことを書いてしまいましたが、たとえばスポーツでも技術の分野にしても、専門的なことをわかりやすく伝えるときには、その道の専門家のスペシャリティが不可欠ですね。美術の世界でも、アーティストの解説があれば、もっと深い理解に導いてくれて、アートが好きな人が増えると思っています。
はやくそういうふうになってほしいですね。

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