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かわうちの湯でIさんと再会

休館していたかわうちの湯が昨年7月に営業を再開してから、どうしても沈みがちになってしまう川内村で、唯一、明るい人の声が響く場所になっている。

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熱いたっぷりの湯が寒さで固まった体をほぐしてくれるし、懐かしい人に再会できる。こういった状況のときに、かわうちの湯が果たしている役割というのはたいへん大きいと思う。

その日の代表は、
資料のまとめ作業で疲れた頭と体をリフレッシュするために、少し早く、午後2時過ぎにかわうちの湯に行った。いつもそうするように、湯舟の中で体を伸ばして気持ちよく浮いていた。ふと洗い場の方に目をやると、消毒のためか、何ヶ所も丸く茶色に変色した背中を見せて、体を洗っている老人の姿があった。

誰かな、見たことが無い背中だな、入院でもしていたのかな、と考えるともなく考えながら、ボーっと眺めていた。

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その老人が体を洗い終わって立ち上がりこちら向きになった。驚いた。Iさんだった。Iさんも代表に気がついて、おぉー、と声を上げた。

かわうちの湯が温泉を掘り当てた当初、現在の立派な施設ができるまではコミュニティセンターの浴場で仮営業していた。今の施設になったのは10年以上も前のことだが、Iさんとはそのときから出会うようになった。でも挨拶をすることはなかった。

挨拶を交わすようになったのは、Iさんの奥さんのスーパーカブを車に積んでIさんの家まで運んだことがあってからだ。奥さんが山菜取りにスーパーカブで山道へ入った折に運悪くパンクして動けなくなったところに代表と友人たちが出くわしたのだった。Iさんとかわうちの湯で一緒になるたびに、何度も繰り返しお礼を言われた。

悲しいことだが、その奥さんが4年前に突然亡くなった。亡くなる前の晩、奥さんはIさんに言ったんそうだ。
「あのな父ちゃん、話があんだ」
「なんだい、あらたまって」Iさんが聞き返すと
「・・・いや、明日にするわ。」と奥さんが言うので、気にもとめずに
「そうが」と。
そうしたら次の朝、奥さんはもう目を覚まさなかったんだそうだ。

よくIさんはその話をしながら「母ちゃんがあん時に話してがったごどって、何だったんだべな?」と言って代表を困らせた。「おれは母ちゃんを愛していだんだ」と言って代表を泣かせた。

奥さんを亡くして気落ちしてはいたけれども、震災の前までは息子さんたちとゴルフに行くくらいに元気だった。そのIさんがやつれてしまっていた。歩くのもゆっくりで、右の手が胸の前で震えるように揺れている。

話によれば、震災直後からあちこち避難を強いられているうちに体調がおかしくなってしまって、病院で検査してもらったところ、パーキンソン病と診断されたということだった。

パーキンソン病というのは筋力や運動能力、記憶力の低下を招く病気で、老化などによって、脳内でつくられるドーパミンという物質の減少が発病のきっかけになることがあると考えられている。ドーパミンは、人間を快感状態にしたり励ましたりするホルモンだというのを、代表も知ってはいた。

約2ヶ月間、専門医のいる都内の病院に入院して治療を受け、息子さんたちのところへお世話になったりした後、そうそう迷惑をかけてばかりいられないと、12月中旬に川内村に戻って一人で暮らし始めたらしい。不自由な体で自分で車を運転して買い物に行き、いわき市まで出て高速バスに乗って都内の病院に通っているとのことだった。背中の消毒痕と右手の震えは、パーキンソン病と入院のせいだった。

代表とIさんは時間を忘れて何度も湯船に浸かっては体を温め、出ては冷まして話をした。が、それがIさんの衰えた体力を更に奪い、近づく夕闇がIさんの歩行を難しくすることが容易に想像できた。それで、代表は申し訳ない気持ちでIさんにそう伝え、切なさに耐えながら言葉をしぼり出した。

「長生きしてくんちぇ」

Iさんが好きだから、と。
今言っておかなければ、代表だって明日の朝には死んでいるかもしれない。そう思ったのだった。

「んだな」
そう言ってIさんは脱衣場へと向かった。

老いること。何人たりともこの法則から逃れることはできない。
しかし、心は違う。その在り方しだいで、時間と苦難で磨かれ輝きを増す。再会したIさんの体は老いていたが、心は以前にも増して若々しかった。

コメント

裸の付き合い
こういう大浴場とか共同浴場の魅力の一つはやはり人との出会い触れ合いですよね。
昔の下町の銭湯みたいな和やかな雰囲気が蘇るところです。


まして同じ心の傷を持つ者同士となれば。
前向き
いや~かわうちの湯はいいです。明日行くのが楽しみです。

いつまでも天災を呪っていてもどうにもなりませんしね。同じ限られた時間ですからポジティブに行きたいです。

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