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飛行船ヒンデンブルグ号の破片

どうしても関心が政治や原発に向いてしまう。まだ、川内村とひとの駅の復興の段階には遠く、また、気持ちも向かわない。少し状況と考えを整理して、気持ちを落ち着かせたいと思う。

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代表は、一時はもう東日本は壊滅的な放射能汚染になって、全域が修羅場になると覚悟した。こうして無事でいられるのが不思議なくらいだ。関東地域の野菜や水道水の放射性物質のことがニュースになっているが、それくらいなら癌になってもまだ5年や10年は生きられる。4年後の同級会まで生きられればもう充分という気持ちだ。
地震と津波は天災だったが、原子力発電所の事故とそれによる被災地の救援遅れは、東電の原発事故に対する判断の甘さと官邸のパフォーマンスが引き起こした人災だった。人災はまだ続いている。以前から、津波による冷却系機器機能喪失により、最悪の場合には炉心溶融、水蒸気爆発、水素爆発が起こり得ることと、冷却水が一時的に海から取水できなくなることは問題視されてもいた。これら詳細についてはいずれ明らかにされて、それぞれの責任が問われるだろう。

今回の原発事故対応のなかで、川内村の遠藤雄幸村長が全村避難を判断したことは正しかったと思う。政府と東電の30キロメートル圏内の屋内退避勧告は、人命を危険に晒してのパニック抑止と、後の補償金を抑えるのが目的だと言われている。たまたま幸運だった風向きと、東京消防庁スーパーレスキュー隊の放水に助けられて、かろうじて最悪の放射能汚染は避けられたが、村民と避難民が全員被曝してもおかしくなかった。放射能汚染は政府の見通しより深刻で、いまだにもどる目途もたたない。あの時の村長さんの判断がどれだけ勇気あるものだったか、これからわかるだろう。

福島第一原発は、とりあえず核暴走は回避できたが危機は回避できていない。現場では今も東電職員、東電工業職員、日立東芝をはじめとする関係各企業の方々、消防、自衛隊、警察、その他多くのみなさんの昼夜を徹した緊迫した命がけの作業が続けられている。これから冷却機能を回復させて原子炉と冷却槽をコントロール可能な状況までもっていって、そこからとどめを刺す(冷却材<ホウ酸>を注入してコンクリート詰めにする)ことになるのだろうが、放射線量が高い危険な環境の中で、放水で外部から冷却しながら周辺機器含めて修理するのは非常に難しい。だが、こういうときの日本企業のパワーはほんとうにすごいことを代表は知っている。関係者の情熱と技術を信頼し、成功を確信している。

それでも、もし万が一核暴走の兆候が見えたときには、アメリカをはじめとする国際連合が協力して抑えることになるだろう。これ以上の放射性物質汚染は、日本だけの問題にとどまらない。世界中の安全を脅かすことになるからだ。国際社会は、これ以上黙って見てはいない。

このあとには世界中の原子力反対の声が渦巻くだろうと思う。これまで何の関心も示さなかった人たちが「それみたことか」と声をあげるようになる。

ここで自分のスタンスをはっきりさせておきたい。
そんな空気に逆らうようだが、代表は東京電力を責める立場になく、原子力発電にも反対しない。

東京電力にはずいぶんお世話になった。
川内村のエンデューロGALLOP-Xからひとの駅かわうちまで、福島県の補助金をいただいて川内村活性化事業の基盤をつくってきたが、その補助金は東京電力が地域振興のために落としたお金が多分に含まれる。また、福島県や浜通り地方がどれだけ原発で潤い、助けられたか。その感謝の気持ちと恩義を忘れてはいけないと思っている。

それから、人間が生命と繁栄を維持するために、電気エネルギーは不可欠で、それを原子力発電なしではまかなえないと考えている。将来もっと効率が良くて安全なエネルギーを手に入れるために、原子力は克服しなければならない技術課題だと思っている。工学を専攻した一技術屋として、必ず克服できると考えるし、すでに放射性廃棄物が格段に少ない原子力発電システム構想が存在する。

電気エネルギーを何らかの環境破壊と危険なしに得るのは不可能だ。たとえば、水力発電所は自然環境破壊をともない、石炭や石油を燃やす火力発電所は大量の二酸化炭素を排出する。太陽光発電は効率がわるく、関東全域を太陽光パネルでおおわなければ東京都の電力をまかなえないレベルだ。今現在、それらに代わる、環境負荷とリスクが小さい発電システムは存在しない。

それは電気エネルギーだけに限らない。化石燃料をはじめとする生存、生産に必要なあらゆるエネルギーについても同じことが言える。利便と快適を手に入れようとすれば、必ず環境破壊とリスクをともなうのだ。

たとえば、18世紀に起った産業革命は、石炭を燃やす蒸気機関によって大量生産という豊かな物質社会をもたらした。しかし、同時に世界的な大気汚染と健康被害を引き起こし、人間はもちろん無数の生物が犠牲になった。

また、人類がこれだけ人口を増やせたのは大量の食糧需給が可能になったからだが、それは空気中の窒素を固体化することができるようになって、窒素を主原料とする化学肥料が開発されたからだ。それまでは、海鳥の排泄物でできた島を削ってきて肥料にするしかなかった(鳥は空を飛ぶのに体重を軽くする必要があり、食べたものを短時間で排泄する。そのために鳥の糞には未消化の窒素分が多い)。
反面、大量の窒素は大量の火薬の製造をも可能にし、悲惨な戦禍の遠因になっている。窒素の生成過程で触媒につかう無機水銀の垂れ流しが引き起こした水俣病の患者もまた窒素の被害者だろう。窒素で救われた命も無数だが失われた命も無数なのだ。輸送革命をもたらした自動車は、燃えやすい化石燃料を40リットル以上積んで10億台走っている。そして、全世界の交通事故による死者の数は120万人とされている。

数え上げればきりがない。石油ストーブでも練炭でも人は死ぬし、鍬でも公園の遊具でも人が殺せる。便利や快適は、同時に必ずリスクをも伴うもので、喜びが大きければ、それだけリスクも大きくなるということだ。

だから代表は、自動車も原子力発電所も鍬も本質的には変わらなくて、原子力発電所だけを責める短絡的な風潮には同意したくないと考えるわけだ。どんなものでも光の部分と影の部分を持っている。そのときの社会常識に照らして、光の部分がいくらかでも大きいものを社会正義としているわけだ。どの道具であっても、その時代に、幸福追求して一生懸命考えられた結果なわけだ。それらの道具でたとえ1人でも犠牲者を出してはいけないのは当然で、犠牲者が1人だから良い道具で、100万人になれば悪いという理屈はない。1人でも100万人でも命は命。1人の命も100万人の命と同じように大切にされなければならない。1人が守れなければ100万人を守ることもできない。だから、事故の時の犠牲が大きいから原発の罪は大きいんだという論調には与しない。
だからといって、もちろん事故を容認するわけではない。事故の責任は負ってもらわなければならないと思う。

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それはそれとして、原発でも鍬でも危険だとわかったら安全にする。その知恵の積み上げによってしか、豊かな人間社会をつくることはできないと代表は思っている。それが人類の歴史そのものだとも思う。産業革命による労働者虐待と環境破壊の教訓を活かせたからこそ、人権擁護と自然保護に力を入れる今のイギリスがある。

1937年5月6日。アメリカ合衆国ニュージャージー州レイクハースト海軍飛行場で、ドイツの大型飛行船ヒンデンブルク号爆発事故が起きた。飛行中に帯電した静電気が、着陸用のロープが下ろされた瞬間にスパークしたからだった。乗員・乗客35人と地上の作業員1名が死亡した。

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この事故以来ドイツは大型飛行船の製造を中止し、飛行船に封入する水素ガスはヘリウムガスに変わったのだが、じつはもうひとつ隠れた話がある。
ヒンデンブルク号は高強度のアルミ合金ジュラルミンで作られていて、この材料はナチスの最高機密で製造方法は公開されていなかった。しかし、事故現場にたまたま居合わせ事故を目撃した日本の住友金属の技術者が、事故の原因と考えられるヒンデンブルク号の破片を拾って帰国。材料の徹底的な解析が超々ジュラルミンの開発につながった。その技術がのちに零戦にも使われ、現在の航空機やモビリティにまでつながっている。

自分の利益だけを考えていても革新技術というのは生まれない。欲を捨てて、真剣に人のためを思ったときにはじめて神様が降りてきて、閃き、まったく新しい技術が創造される。

東北地方太平洋沖地震の悲劇を経験し、使命感に燃えた技術屋には、すでに神様が降り始めている。原子力発電所ばかりではない。新しい防波堤や道路、街、家、流通や情報システムなどについて、新しいアイディアが形になり始めている。東北地方太平洋沖地震が引き起こした悲劇は、安全技術のパラダイムシフトを生むきっかけになる。必ず世界をリードする技術になる。だから今、ピュアな動機と行動をおさえないで欲しいと思う。
彼らは今、ヒンデンブルク号の破片を拾ったところだから。

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