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中村享司さんのアトリエで

 画家はどうして画家になるんだろうか。代表は何回も何回も繰り返し考えたが、答えが出なかった。したがって代表の暫定結論としては、絵を描く理由はそれぞれであって、決まった答えはない、ということにしてある。本人でさえわからない場合が少なくないのに代表が答えを出すのは無理だ。画家になったという現実を見るしかないのである。

 画家であれ彫刻家であれ、弱い強いの差はあるにしても、「自分の作品を認めてもらいたい」という気持ちは必ず持っている。無いと言い張る作家もいるが、嘘である。作品を認めてもらいたいという願望が、幼児的であったり純粋であったりあるいは迫力となって作家の内外面に表れると思う。なぜそう思ったのかといえば、技術屋の端くれの代表にも似たところがあるからだ。

 先週末、いわき市湯本に訪ねた画家の中村享司さんは、想像していたとおりに「自分の作品を認めてもらいたい」という気持ちを微塵も隠さない、代表がこれまでに会った作家さんたちの中でもいちばんに子どもっぽい方であった。

 作品が使われた職美展のポスターを手にする中村享司さん
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  約束の朝10時にご自宅の近くまで行くと、「わかりにくいから」といって路地の入り口のところに立って待っていてくれた。

 中村享司さんのお宅は2階建てなのであったが、2階の3部屋の内1部屋はアトリエとなっており、残りの2部屋は作品や史料の保管と製作空間で占められていた。1、2階の壁一面にもご自身や仲間の作品が掲げられている。どれも貴重な昭和の美術資料だが、「川内村の作品を引き取らないで」とおっしゃる奥様の気持ちも代表には理解できた。

 アトリエに案内され、東京の足立区から平へ機関士見習いとして就職してから現在までのことを、積まれた画集や資料やアルバム(代表の手紙も丁寧にファイルしてあった)などを1ページずつめくりながら聞かせてくださった。

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 機関士としては常磐線のSLを走らせてきたこと。画家としては、職場の絵画サークルに入って絵を描き始め、地元を代表する作家の若松光一郎や、彼がいわきに連れてきた佐藤忠良らの作家たちとも時代を重ね深く交わりながら市の美術界を牽引してきたこと。

 その間あいだに「中村さんすごいだろ?」とか「中村さんうまいだろ?」と自慢が顔を出すところが、重厚な画風と中村享司さんの雰囲気とがつながらなくて、ギャップの大きさがなんとも可笑しかった。話は2時間以上も続いたにもかかわらず、面白くてちっとも飽きなかった。

 中村享司さんのお話から、これまでぼんやりしていたものの形が見えたり、独立していたピースがつながったりした。

 代表が気になっていた中村享司さんの画の色の暗さというは、最初に絵を学んだ国鉄の絵画サークルの先輩の影響によるものだった。先輩の絵具箱に暗い色しか入っていなくて、それらを使わせてもらっているうちに画風ができていた、ということだった。

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 おそらく画家というのは、最初にインパクトを受けた色の影響を強く受けるものなのだろう。

 また、聞いていて驚いたのは、地域におけるいわき美術協会のポジションである。いわき美術協会は独立性が強く他の協会と一線を画す、と耳にしたことがあったが、おおよそその理由がわかった。

 どこの美術協会でもそうなのかわからないが、いわき美術協会は基本的に一流と評価される作家しか仲間に入れてもらえないみたいなのである。よしんば二流三流で入れたとしても、居心地の悪さを感じさせられるような独特の格を持っている。いわき美術協会内部の方々は自覚がないかもしれないが。だから、独特な抽象画だけを描いていた薗田巌さんらは異端扱いで、別の美術会を立ち上げなければならなかったのだろうと思った。

 そして、その主流にいたプライドを中村享司さんも持ち、同じ理由で若松光一郎や佐藤忠良に複雑な感情を抱いていた。そういうこともわかった。

 それから、もしも川内村の作家川井弘子さんの存在がなかったら、ひとの駅で中村享司さんの作品展は行われなかった、ということである。プライド高き中村享司さんが、美術館とは名ばかりのオンボロ校舎で、しかも、単独の個展ではなく「浜通り四人展」などという代表が面白半分に考えた企画の下での作品展だったにもかかわらず甘んじて受け入れてくれたのは、同じ職美展の仲間だった川井弘子さんの誘いがあったからだった。川井弘子さんの頼みでなければやらなかった、と中村享司さんは話した。

 川井弘子さんは多くの作家さんとひとの駅を結んでくれて、その縁が今も続いている。やっぱり、想う人同士は惹きあうものなんだなーと、改めて巡り合わせの不思議さを感じないわけにはいかない。

 楽しい時間はまたたく間に過ぎて、ついに86歳の老画家の望みを託されるときがきた。最後を見据えての願いを、代表も同じ覚悟で受け止めないといけないと思って聞いた。でも、まだ中村享司さんの心はゆれていたのだった。だから、中村享司さんの気持ちが固まるまで、代表はとことんお付き合いすることにした。
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コメント

絵描き人生
私も間違っていわき美協に入れてもらいましたが、最近会員が少なくて困っているということなんで結果オーライです。

双葉美協展にも入っているんで、両方入っているのは私だけかもしれません。

大物たちだけじゃ成り立たないんで、底辺で頑張っています。

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