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答えは無数

  代表の学生時代の現代国語の教官は生田(いくた)という苗字だった。当時30代前半。いつも白いワイシャツにネクタイ姿。小柄で静かで清潔な印象の方だったが、内部にたぎるマグマをようよう理性で抑えている感は常にあった。実際、「雪が降る寒い夜などは大声を出しながらすっ裸で外に飛び出すこともある」といった類の話を、遠い眼差しでおっしゃることがあった。教師にはそういう人(多面性を持つ人)が多いと代表は思う。

 ある問いに対し答えはひとつではない、という観念は生田教官から教わった。

 生田教官は「例えば、自分の苗字は生田だが、(いくた)じゃないかもしれない」といって、他にどんな読み方ができるか、ひとりずつあげさせた。「しょうだ」「しょうた」「せいた」「せいでん」「うまれた」「うんだ」「いきた」「いきだ」等、学生は面白がって答えた。その結果、訛りまでいれると教室の学生数くらいの呼び方ができたのである。「だから事に対して答えというのはひとつではない。多様な見方ができどれもが真実である。」と国語の教師らしく説いた。

 代表はテストで応用してみた。苦し紛れだが、答えがわからないとき、自分に都合の良い答えを書いて問題の方をボカしてしまうという手口であった。生産工学なんかでは「そういうアプローチも面白いね」なんてことでけっこう高得点をもらったときもあったが、数学ではまったくだめだった。何より現代国語で通用しなかった。魂胆を見透かされていた。

 前置きが長くなったが、本日のひとつめの問題は、このお菓子がなぜ今代表の手の中にあるか?である。いくつの答えがあるんだろうか。

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「自分で買った」としたならば、こういう商品(いろんな種類を集めて小さな袋に入れたもの)が販売されていなければならないが、あまり見かけたことがない。「拾った」という答えもあるけど、代表は落ちている食べ物は拾わない。「作った」とか「失敬した」とか「しまっていたのが出てきた」とかなんでも答えになるんだが、事実は「もらった」だ。

ふたつめの問題は、これを誰にもらったのか?である。

「家内」「娘」「職場の女性」「同級生」「近所のおばさん」「なにかの景品」「告白とともに・・・」なんてもったいぶっている間に愛想つかされてしまうだろうから急ぐと、くれたのは11月に還暦を迎えた職場の友だち。むろん男。

 先週末に彼のお祝いの飲み会をやったときに、お礼だといって参加者にひとつずつ配ってくれた。一生懸命準備したんだろうね。お菓子を眺めていると、立っていられないくらいべろんべろんに酔って涙でぐしゃぐしゃにした友だちの顔が浮かんでくる。

 さて、みっつめの問題は、代表はこのお菓子を食べることができたでしょうか?食べられなかったでしょうか?たったひとつの菓子袋にたくさんの答えがある。
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