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川内村に貝塚発見

 川内村に行ってました。土曜日曜とも雨だったんだが、用事がたまってしまってどうしてもこの休みに行くしかなくなった。下の写真は割山トンネル(川内側から)。紅葉には早く、まだ所々に黄ばみ始めの斑点ができている程度。

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  割山に設置されているデジタル温度計は11度を表示して、肌寒くはあったがTシャツ一枚でも少し動けば汗をかくくらいだった。用意していったウィンドブレーカーの出番はなかった。

 昔は川内村と川越では2、3週間の遅れがあったと思うが、今はそこまでの差はなくなった感じがする。川内村が温暖化したのか。それとも代表の更年期の火照りなのか。

 今回の川内村行の用事(重要順)
・中村享司さんの作品確認
・ガス代の支払い
・石油給湯器の石油タンク交換
・アクティタイヤ交換
・不用になった家具の搬送
・同級生のシンイチ君からの依頼対応
・庭石移動
・中村享司さんの作品確認
 ひとの駅かわうちの日々の運営や作家さんとの交渉等は、全て事務局の斉藤昭蔵さんに任せていた。だから詳細について代表は知らなくてよかった。

 震災のとき、ひとの駅かわうちの校舎や体育館が一時的に浜からの人たちの避難場所になった後、川内村も全村避難することになったため、斉藤昭蔵さんは体育館に作品を集めて施錠して郡山のビッグパレットに避難した。その後のことは折々ここに書いてきたので繰り返すことはしないが、様々な事情で、何人かの作家さんの作品は代表が預かることになった。

 中村享司さんの作品は20点ほどあったが、どうも運送費の支払いについて中村さんと斉藤さんとの間でひともめあったらしいことと、奥様から「邪魔だから家に戻してくれるな」と、作品を戻すことを拒まれたということで、代表の方で預かって活用してほしい、と依頼されたのだった。正面のカバーの中に中村さんの作品がある。

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 しかし、それから中村さんの気持ちは揺れに揺れた。
預かって活用してほしい。いや、引き取りたい。預かってほしい。どこかに寄付したい。預かってほしい。いや、自分のところに置きたい。預かってほしい。いや、美術館で展示したい。いや・・・。そのたびに中村さんは電話をくれたり便箋7,8枚もの長文の手紙を書いて悩みを伝えようとしてきた。

 中村さんは代表の親父と同い年だから現在87才。代表の親父は80才になる前まではミニ手帳に日記を付けていたが、手がいうことをきかなくなってしまって小さい字が書けなくなってから止めてしまった。87才の老人が便箋7,8枚分の字を書くということがどれだけたいへんなことなのか、想像するしかないが、強い気持ちがなければできないことだろう。やはり中村さんとしては、事情が許すならば自分のところに置いておきたいのだろうと思っていた。

 先月、また便箋7,8枚の速達が届いて「すぐに電話をくれ」と書いてあったので電話すると、「作品を引き取りたい。ただ、高齢で車の運転もできなくなったので...」という話だった。
 
 わかっていますよ、と。おっしゃりたいことはわかっていますから、中村さんの都合に合わせていつでもどこにでも運びますよ、と。「それなら詳しく話がしたいので、ぜひ会いに来てほしい」ということになった。それで、訪ねる前に作品を確認しておきたかった。

 代表がひとの駅の体育館からここに運ぶとき、すでに一部の作品に割れや剥離があり、それは写真に撮って中村さんに渡してあった。が、それから変化していないかどうか。大丈夫だったにしても、改めて画を見ればやはりショックを受けるのではという心配もある。すべて受け止めるしかないが、心の準備をしておく意味もあった。

 それにしても、電話で話をしたときに「新しく描いた作品を代表に見てもらいたいんだ」というので驚いた。体力的に大きいのは描けないので小さい作品を描いているということだったが、そのときが楽しみで待ちきれないような様子がまるで子どもみたいで、中村さんの画を描くことに対する情熱というか欲望というか、生きることと表現や創作意欲とがピッタリと一重になっていて、生まれながらに表現や創作の欲求を持った本物のアーチストなんだなぁと、感慨に耽った。

・ガス代の支払い・・・済み
 わた屋のガス代をなんと昨年6月分から払っていなかった。もう止めると通達があったので慌てた。もちろん未払いであることは知っていて、踏み倒すつもりなんて毛頭なかったんだが、月額がたいした金額ではないのと、川内村に行くときはいろいろ用事を済まさないといけない状態のことが多いので、毎回そこまで気が回らなかった。ようやく完済したが、利子は付かなかった。申し訳なかった。

・石油給湯器の石油タンク交換
20年も使ったためかなり錆びて、パッキンがひび割れメーターも不動になったが、部品もとうの昔に生産中止となっていた。そろそろ新品に交換しておかないと、と気になりながらずいぶん時間が経って、どんどん後回しになってしまっていた。このままではいつまでもできないので、今回思い切ってやった。毎度のこといろいろとトラブルが発生したが、例によって自己満足と自己責任のアイディアで対応しつつ完了。無事に灯油が流れるのを確認でき、風呂にも入れた。残念ながら余裕がなかったため写真なし。

・アクティタイヤ交換
早めのスタッドレス化。1本パンクして今スペアタイヤを履いているため。ついでに親切心で親父のライフもスタッドレス化してやったが「今からスタッドレスタイヤじゃ恥ずかしい」と駄々をこねられた。「あとひと月の辛抱だべ」と言ってなだめた。これも余裕がなかったため写真なし。

・不用になった家具の搬送・・・雨天のため中止

・同級生のシンイチ君からの依頼対応
同級生のシンイチ君家のすぐ近くに代表ん家の畑だった土地があり、今はシンイチ君が田んぼにして使っているんだが、最近の農業機械は大型で高速になってきたため、田んぼが大きくないと機械が使えないらしい。それで、代表ところの土地をくっつけて大きくしたい、とシンイチ君から話があったと、当人同士で話をしろと、親父から連絡が入った。シンイチ君に会うのも久し振りなので、二人で夜半まで酒を飲みながら情報交換した。

 「これがらどうなっと思う?」もちろん川内村だが、シンイチ君に聞いたら「まず...双葉郡は無ぐなっぺな」と言った。理由は、「富岡町が駄目だがら」だそうだ。

 富岡町は北部半分が原発の至近距離になっているため、どんなに復旧しても元の形になることはない。元より大熊町双葉町は復旧の見通しがゼロに近い状態だから、双葉郡は大熊町双葉町を境に南北に分断されて、浪江以北は相馬圏に、富岡以南はいわき圏に吸収される。

 新しい双葉郡の中心になりたかったと思える川内村だが、最も結びつきが強かった富岡の経済文化機能半減によって、いわき圏からも相馬圏からも孤立してしまうだろう、という説なのであった。

 たしかに、南から広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村が合わさっての勢力だった。2つが機能せず、あと残り半分ずつになったら影響力は保てない。「富岡あっての川内。富岡町が駄目だがら川内村も駄目だっぺ」というのがシンイチ君の見解だった。

 「それにしても...」とシンイチ君は続けた。いわき圏に入る広野町と楢葉町の場合、いわきに近い広野町が一番賑やかになっていいはずなんだが、北限となっている楢葉町の方が活気があるように見える、というのである。楢葉町の方が戻っている住民の数が多いように感じる、というのである。なんでだべな?と言ってニヤリとするのであった。「金が回っとごさ市がたつ。それだげの話だっぺ。」代表もニヤリとした。

 まあ、なんにしても今の双葉郡は政界官民メディア複合の利益率最高の流行商品だから、儲かるときにうんと儲けて潤ってもらえばいいんじゃないかと思った。シンイチ君も大型農業機械を買う。今はそれが社会正義であり最善で、文字の通り善なのだ。でも、スキャンダルには気を付けてもらいたい。

・庭石移動
 家内と娘たちが川内村に遊びに来たとき、399号線から勢いつけて坂を登ったら、ドーンという音がしてNBOXがそっくり返りそうになったので、びっくりして降りてみたら、坂の途中に石が埋めてあって、それに乗り上げたからだったという。代表が行ったときに確認したら、隣家の門だった墓石のようなのが埋めてあった。親父の仕業だ。そんなイタズラをするのは親父しかいない。

 震災後に倒れた隣家の門を、親父のリクエストで、作品をひとの駅から搬送したときにクレーンで吊って近くに置いたんだが、親父がそんなことをたくらんでいたのがわかっていたらやってやるんじゃなかった。腹立たしい。年寄りのくせに力だけはある。

 なんとかしないといけなかったが、親父がいるときにやると怒るに決まっているから、いないときにやろうと考えていた。が、なかなかいなくならない。このまま冬になったら凍って掘れなくなるし、雪が降ったら車が登れなくなってしまう。仕方がないので、親父が寝ている早朝にそうっとやることにした。墓石の側を深く掘ってそこに落とす。

 日曜に早起きして、スコップで静かに掘ろうとしたが、先が弾かれる。おかしいなと思って砂利を除けてみると、墓石の周りの砂利がコンクリートで固めてあった。無意味だろ!怒りと絶望感とでクラクラした。ここは親父の寝室の近くだが、もうそんな配慮をしてはおれない。ツルハシでコンクリートをガンガン砕きまくった。

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 そうして更に掘り進めると、空き缶やら空き瓶やらガラクタやらが出てきた。なんだこれは?貝塚か?

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 親父が意地悪してわざと埋めたのかと思ったが、思い返せば、ここはかつては代表の家の裏山で、燃やせないゴミを埋めていた辺りだった。整地するときにブルドーザーでだいぶ削ったんだが、ここは削らなかったのかもしれない。それで残ったんだろう。

 貝だけじゃなく、生活で出たゴミを捨てたのが貝塚になったと定義可能ならば、こういうところも貝塚と呼んでいいのかもしれない。人間はきれい事を偉そうに言うが、海でも山でも大昔からこうやって生活ゴミを捨てて自然を穢してきたわけだ。

 以前、砂浜を掃除する装置を検討したことがったが、砂浜でテストしながら掃除していると、よく近所の人が見に来て嫌ーな顔をしていたものだった。掃除してあげてんのにどうして嫌がるのかな?と不思議に思っていたら、掘れば掘るほど空き缶やビンやなべ釜などの生活ゴミが出てきた。つまり、それは近所の人たちが埋めて処分していたゴミで、ばれるのが嫌だったわけなんだね。海を観光地にしている人たち自身が海を汚していた。しかし、生き物というのはそういうもんだろう。だが、親父は違う。半分以上は深く考えない遊びだ。だからよけいに腹が立つ。

 腹が立てばカッカする。カッカすれば汗もかく。朝からまた汗びっしょりになった。さあ、こんだけ深く埋めれば大丈夫だろう。

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 埋め戻して完成。Kトラで下ってみたがもう段差は感じない。OKだ。任務はこれで完遂。代表も家内と親父の板挟みでけっこう苦労が多いんだよ。

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コメント

No title
八木澤さんの責任感、親孝行の凄さに感銘を受けました。中村さんの奥様の心は断捨離。作品は残していても売れない。寄附と言う処分で「名を残す」。
双葉郡は不滅です(笑い)合併しか残る道は無いのは事実です。
双葉郡美術展(21日~29日)は無理しないでください。
No title
親孝行ではないです。
ところで双葉郡美術展へは28日か29日に行きたいと思っていますが、中村さんとの打ち合わせと里芋を届けるのと一緒にしたいので、もしかしたらずれてしまうかもしれません。

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