映画『福島桜紀行』を鑑賞して(2/2)

 昨日の会社からの帰り道、長女が怪我して救急車で運ばれたと家内から電話が入ったもんで、その足で搬送先の病院に向かった。救急車で運ばれたというから最悪の事態も考えたが、幸いなことに左足の指の付け根4ヶ所本骨折しただけだった。原因は、転勤で一月から変わった慣れない職場で台車を押していたところ、荷物が落ちてきて下敷きになったということらしい。100キロくらいの大きな荷物だったというから、その程度の怪我で済んだのはほんとうにラッキーだったとしか言いようがない。全治一か月。屋根から落ちて腰の骨を折りひと月あまりで復活したおじいちゃんの血を引いているんだろう。本人は「足の怪我や骨折に気を付けること」という今年の運勢が当たったと変なところに感動していたが、そういうことをしんじるところはおばあちゃん似だ。

昨日からのつづき

 鉾井さんと箭内氏のトーク。

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 震災後しばらくして運転中のKトラのラジオから流れてきた猪苗代湖ズの『I love you & I need you ふくしま』を初めて聴いたとき、代表は愕然とした。猪苗代湖ズの噂は耳にしていたが、まさかそういう音楽性だとは予想していなかった。不意を突かれた。
 代表は音楽を大まかに3つのタイプに分けている。
自分が楽しむための音楽と人に聴かせるための音楽。そして、儀式としての音楽。

 代表的には、和太鼓などは自分が楽しむための音楽で、ブルースや歌謡曲の類は人に聴かせるための音楽。行進曲とかクラッシックなどは儀式としての音楽というふうに分類している。ジャズなんかは自分が楽しむためと人に聴かせるための両方あると考えていて、そいういふうに2つ3つにまたがる場合もある。

 これに映像とか舞踏とかが絡んじゃうと複雑になってしまうので音だけに限ると、この中で代表が聴けるのは、人に聴かせるための音楽と儀式としての音楽だけ。絶対に受け入れないのが自分が楽しむための音楽。

 猪苗代湖ズの『I love you & I need you ふくしま』は、どこをどう切っても自分が楽しむための音楽だろうと思った。自分が楽しむための音楽が、どんな内容であれ下手であれ間違いがあったにしても、自分のテリトリー内で仲間同士が集まってやってもらうのはかまわない。が、押し付けは困る。

 別に聴きたくなければ耳を塞げばいいだけなんだが、その時はどうにもイラついて、そういう状況を作っている主体者側がおかしいだろうという気持ちになった。

福島県人のグループによる被災者への応援歌。そんな紹介があった後に...
♪I love you,baby福島
♪I need you,baby福島
♪I want you,baby僕らは福島が好き
ガーガーである。

 そんな形での県人の心情はこうだみたいな代弁者気取りはやめてほしいと思った。元気づけられたという人も少なくなかったみたいだけど、はっきり言って代表は辛かったね。病室で漫才やられてるみたいで。

 繰り返しになるけど、こういう音楽があってもいいし、そういった応援の仕方があってもぜんぜんかまわないんだよ。それを被災地応援という美名を笠に着て利用し合っている構図。無神経さ。どうにも我慢がならなかったんだねー。逆効果だろうと思った。

上映会の後のトークの中で箭内氏は、「福島を応援するにあたって行政側体制側には居たくない。県民側に居たいと考えた。」という内容のことを話していたと思うが、本心だとしたら、一連の流れが不本意だったことの弁明と受け取れないこともない。

 だったら、そしてあの時の熱がまだ冷めていなかったら、猪苗代湖ズにはもう一曲作ってほしいと思った。ラジオやテレビを使って流すのではなくて、仮説住宅の片隅から湧き水みたいにハミングが流れてくるような、代表も歌いたくなるような応援歌を作ってほしい。代表のためにぜひリベンジしていただきたい。

 芸大を出ると、暗い上野公園の木々の間から白い満月が見えた。震災直後、この公園からひとの駅に慌ただしく作品を搬出したことなどが思い出された。なんか、またひとつ終わったんだなーという気持ちになった。
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