映画『福島桜紀行』を鑑賞して(1/2)

3日前の金曜の夜、代表は上野にいた。その前の日の夜遅くに、鉾井喬さんから、映像作品『福島桜紀行』の上映とトークを東京芸大で行うという連絡をもらったので。元TVカメラマンで関東出身の鉾井さんは、震災後しばらくしてから仕事をやめて、福島市を拠点に創作活動を続けながら、講師を勤める東京芸大に通っている。

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 少し早めに着いたから、上野公園のスタバでコーヒーを飲みながら、鉾井さんとの出会いのことや、震災があってからこれまでに散々見せられてきた、復興の応援のためという大義名分の映画や音楽や詩や演劇、それらの芸術活動文化活動、それを通して会った人たちのことなどを思い出していた。
 ひとの駅かわうちの代表としてたくさんの方たちと接触した。
高齢者のボランティアで組織された原発行動隊、大手の建設会社とか通信会社、中小企業なんとか機構や障害者施設の代表、有名建築家、福島芸術化計画の方々、国立大学につながりがあるというブローカー、宗教団体等。数え切れない。一度取り上げたのでもう書かないが、その人たちの「復興の力になりたい」という気持ちを疑ってはバチがあたるというものだろうけども、ただ、結局、彼らにとっては自分の利益とか仕事、一時的個人的な興奮状態による迷走、そういうものでしかなかった、というのが代表の結論だ。苦労が報われることもなくて、残念な思いをさせられた思い出しか残っていない。

 復興事業そのものが、投入される税金を分け合う仕組みだったから、分け合う側に都合がいいように巧妙につくられていたわけなんだが、その匂いを嗅ぎつけた人間が集まっただけのことだったろう。人間はほんとうに金に弱い。卑しい。あの時改めて代表はそう思った。

 その結果として、元々地元で活動し、震災後も地元に残って頑張っていた正直な人たちは邪魔者的に排除されてしまったところがあった。そういった側面を、何度かここでやんわりと皮肉ったこともあった。でも、多くの東北の人たちは代表とちがって皆黙っていた。争いを好まず責任感が強いからなんだろうと思う。そのような人たちは、自分の廻りで起きているあまりよくないことまで自分の責任として受けとめ、外には出さないで包み込んでしまった感じがする。かなり危機的な兆候だったと代表は思うんだが、分け合う側は、たぶん苦情が出なくなったのはよい方向へ向かっている証だと解釈している。自己都合だけで考える人たち。だから分け合う側にいられるのだろうが。

  代表が現実から逃避しているといわれればその通りだ。しかし、代表だってそれなりの覚悟で逃げているつもりなんだよ。つまり、もう故郷が無くなってもいいというくらいの気持ち。震災そして原発事故が起きた時に、一度は故郷が無くなったと諦めたが、あの時に無くなったと思えばいいだけだと自分に言い聞かせている。まあ、実際にそこまでのことは起こらないとしても、代表の故郷のイメージは献上したつもりでいるのである。

 もちろんそれがすべての人には当てはまるわけではないが、震災と復興に伴う被災地の心理構造は複雑で、心奥に沈んだ不信の固まりはそれほど大きくて重い。そういいうことだ。

 そういった状況下で(失礼だけども)県人でもないのにTVカメラマンの仕事をやめてまで福島を考え続ける鉾井さんだが、鉾井さんの目は一体どの辺りを見ているのか。代表はそれが知りたかった。

 『福島桜紀行』が、どんな作品であれ、また、福島の人たちにどう受け入れられるかとかにはあまり関心がなかった。関心があったにしたところでどうにもならないし。ただ鉾井さんの思いが何辺にあるのか。その一点だけ知りたかった。それが『福島桜紀行』でわかるのではないかと思った。そのために来たのだった。

 仲むつまじいカップルや微笑ましい家族連れが目につく週末の夜のスタバを後にし、正門から東京芸大に足を踏み入れ、暗い中、一際明るい右手中央棟の電灯を頼りに会場を目指した。講義室がある2階に上がると、開始10分前だというのにまだ準備ができていないということで、入り口周辺のベンチに数人の学生が座っていた。

 人気なさそうだなーちょっと寂しいなーなどとと思いつつ、準備ができたという声が聞こえたので、チラシを受け取って会場に入った。と、向こう正面にデジタルカメラ設置中の鉾井さんが見えた。鉾井さんも代表に気がついた。上映時間直前のため、やあやあという感じで慌しく挨拶を交わした。

 鉾井さんと会ったのはどれくらい振りだろうか。二年か三年。前回は震災で残された写真を集めたコラージュ作品を構想中という話を聞いたときだったから、まだ三年は経っていないかもしれない。そうしている数分の間に学生や一般の方と思しき人たちがどんどん集まって、講義室の席はあらかた埋まった。

 上映会が始まった。まず鉾井さんの挨拶。

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 そして約30分の『福島桜紀行』上映。その後で、鉾井さんとデザイン科のOBでクリエイターの箭内道彦氏のトーク。箭内氏はまた郡山市出身で猪苗代湖ズのギタリストでもあるが、今年度から芸大の准教授として教鞭を取っているとのことだった。

 まだご覧になっていない方もおられると思うので『福島桜紀行』について詳しく解説はしないことにする。ちょっとだけいうと、福島県内16ヶ所の桜の今日の姿を、地域の人たちの言葉と一緒に記録した、たいへん美しい好ましい作品であった。震災後に見た震災に関わる映像として最もニュートラルな視点で制作された作品だと思った。もちろん全く意図の無い映画というのはあり得ないので、意識的にそう仕立てられたということである。

 驚いたのは、スクリーン上の地域の人たちがありのままの言葉で語っていたことである。その素朴さと映画のシーンとが自然に重なっていた。代表も福島県人だからその言葉が本音なのかよそ行きなのかは聞けば一発でわかる。カメラを向けられれば、向けた人の思惑通りに演技をしてしまうのが、人が善くてサービス精神旺盛な福島県人なのである。この作品にはそういったところが無かった。地元の人の普段着の姿をを引き出せたのは、鉾井さんが地元の人間になって受け入れられたことの証なのか、あるいは、それに代わる何か別のことによって、境を取り払うことができたからだろうと思った。

 別のことの正体はわからないので想像するしかなくてうまく表現できないが、自分の気持ちを、雰囲気というか、立ち居振る舞いで相手の心に直接的に伝えることができるようになったからではないのかなと思う。福島県人は、へらへらしているように見えて実は相手の誠意とか真偽とかを見透かしていることが多い。言葉だけでは無くて雰囲気でも窺う。鉾井さんは真剣に被災地と向き合い続けたことによって、自身の気のようなもので意思を伝えられるような、カメラマンとしての構えのようなものを備えることになったのかもしれないと、そう感じた。

 どっちにしても、鉾井さんは確実に変化している印象を受けた。代表は嬉しかった。それがわかったから、代表としてはもう上野行きの目的は遂げていた。

 映画の後の箭内道彦氏とのトークは、人生キャリア的にも言葉の使い手としても箭内氏が一枚も二枚も上手であり、また、芸大ヒエラルキーの上位に位置するため、緊張感のある面白いやり取りではあったけれども、勝負(そういう主旨ではなかったと思うが)にならなかった。ただし、猪苗代湖ズに対しては代表も言いたいことがあった。

 明日につづく
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