死に物狂いで

 先週の土曜日。多摩川源流域のある村に行って、水源を守る活動というのに参加してきた。

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 これは代表の会社があちこちでやっている社会活動のひとつで、以前、海浜のゴミを集めるビーチクリーナーという機械の開発に携わったことを書いたが、あれなんかもその後あちこちの海浜を掃除して回って今も続いている。
 当時、海浜を大規模に清掃するのは、人間が捨てたゴミを拾うのは良いとしても、自然に流れ着いた海藻とか木片とかを海岸から取ってしまうのは、それらを食料としたり住処としたりしている生物的にはどうなのか。砂浜を掻き回してしまうことの悪影響はないのか。ずいぶん議論し調査もした。

 顕著な変化は起きないだろうと判断してほぼ10年やってきたが、やっぱり影響といえるほどのものは確認できなかった。海浜の活発な再生力の中では、限られたエリアのゴミを取り去ることなど砂遊びレベルのことだったのだろう。もちろん30年とか50年の長いスパンで影響を見ていく必要があるが、ひとまず安心できた。

 海はよかったが、陸の方はどうなのか?代表の会社は、日本の水源保護ばかりでなく、外国にも活動を広げ、砂漠緑化のためなどとして木を植えたりしてきた。実際どこでどんなことをしているのか。また、それがうまく機能しているのか。自分の目で確かめてみたくなって今回参加してみたわけなんだね。

 土曜日の朝7時に埼玉にある工場に集合し、2台のバスに分乗して出発。途中のポイントでさらに何人か拾いながら、九十九折の林道を延々走り、10時前に現場近くの行き止まりに停まった。

 いやー、代表ははじめて知った。秘境という意味では川内村は相当上位のランクにあると思っていたが、その比ではない場所が都圏内にあることを。この村の面積は川内村の3分の1くらいだが、そのほとんどが険しい斜面。人口の700人が住める場所というのは、狭隘な谷間の部分だけだった。農地と呼べるところがほとんどない。 へばりつくという表現はこういうところのためにあるのだと思った。

 しかも、土が見えるところは全て手の拳大の砕石がゴロゴロしているガレ場だ。畑は広くてもせいぜい10坪程度の、幾分傾きが緩やかな場所。そこに里芋とか豆類が植えられていたが、当然育ちはよくない。奥多摩や秩父よりもっと厳しい。ここに比べたらあぶくま地域は何10倍も恵まれていると思った。

 今回は、植林した木に巻きついた蔦などを取り払うのと、鹿道を封鎖するのと、植林したエリアを鹿よけネットで囲む作業の3つだったが、その場所までバスが停った場所から険しい山肌を登って行かねばならず、それはまるでロッククライミングみたいに厳しくて、辿り着くだけで体力を使い果たす人もいたくらいだった。代表もスポーツクラブで鍛えていたから行けたが、もし昔の腰痛持ちのままだったら間違いなく途中でリタイアしていた。

 代表はネット設置グループになったので、木こりと思しき70歳くらい(!)の村の老人の指示に従って作業をした。

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 まずネットの支柱の芯になる長さ1mあまりのポールを50cmまでハンマーで叩き込む。そこに2,5mのポールを挿しながらこれも2mくらいまで叩き込み、そこへネットを架ける。ネットの裾を長さ30cmほどの、抜けにくい返りがついたペグを支柱のところで地面まで叩き込んで押さえる。さらにその中間にペグを挿す。偏執的といえるくらいに念入りだ。

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「こんなに念入りに押さえないとダメなもんなんですか?」代表は老人に聞いた。
「当たりめえだよ。ちょっとでも浮いていたら簡単に破られるわ。あいつら死に物狂いでくるから。」

 死に物狂い...久々に力のある言葉を聞いたなぁ。いい言葉だ。 そうだよなー。こんな過酷な場所で氷の冬を生きないといけないんだもんなー。ネットの先に見える木の皮が食えるかどうかで己の生き死にが決まるとしたら、そりゃ命がけでネットに突進するだろう。

 人間の方もなにもこんな場所に植林して効率の悪い林業をやらないでもいいだろうと思うが、そうしなければ生きられない事情があるんだろう。やはりこの場所にこだわって木を食って生きなければならない鹿との、両者の死に物狂いのぶつかり合いだ。代表が踏み入ることのできない領分。

 村の人たちと鹿との真剣勝負は、代表の想像をはるかに超えてすさまじいものだった。しかも、それがここでの日常なのであった。代表は圧倒され、問題の困難さの前に立ちすくんでしまい、考えることができなくなって、ただ眼前の作業に集中するしかなかった。 たった3時間弱の作業を終える頃には代表の体力も気力も限界。もどる道の坂で前のめりに転げそうになったよ。

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 代表は生意気にも山の自然保護がうまくやれているか確かめるためにここに来たのだったが、あえなく玉砕。目の当たりにした現実に対して、自然を守るだとか自然のままにだとか動物愛護だとか共生だとかのスローガンはあまりに浅く、そして軽かった。装いだけの言葉だった。

 そういったものを人はスマートだと考えて、死に物狂いを毛嫌いした結果、内なる力を失い、軽薄な偽もので溢れる世間になってしまったのであろう。もうその流れが元に還ることはないと思うが。

 無責任は承知の上で、そういったことに口出しするのは金輪際止めようと思った。代表は代表で死に物狂いで自分の命を燃やすしかないだろう。

 もしまた次回この作業があるなら参加したい。自然保護とかじゃなくて、自分が死に物狂いで生きているか、振り返るために。そしてもうひとつ。道の駅こすげの美味しい葡萄ソフトクリーム(350円)を食べるために。

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