自由に行きたい

 代表がこの道を通るようになってからもう25年以上経つが、いつからか定かでないんだが、ほぼ毎回同じ場所ですれ違う人がいる。歳は70前後に見えるが、朝6時頃に非常な早足で川越市内方面に向かってくる。大きく膨らんだゴミ袋をたくさん自転車にぶら下げて。

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 何のためにどこから来てどこに行くのかわからない。時々、夕方5時過ぎに同じあたりを反対方向から歩いてくるのを見かけることがあるので、夕方川越市内方面から帰るみたいである。そのときの姿もまったく同じで、時々道に落ちている紙を拾ってゴミ袋に入れたのを見たことがあるから、ゴミを拾い集めているようだ。

 一体ゴミを集めてどうするのか。自転車は自分のものなのか。どこで寝起きしているのか。家族はあるのか。ほんとうに貧しいのか。風呂に入っているか。毎日何を食べているか。正気なのか。一体何があってこうしているのか。かわいそうだとか哀れだとか・・・など々いろいろ想像できる。

 代表はひとりの青年を思い出す。また昔話になるが、代表がいわき市で学生時代を過ごしていた頃、平駅周辺をボロをまとった汚れ姿でくず拾いのリヤカーを引く20代後半の男性がいた。地元ではけっこうな有名人だった。東京大学を中退してくず拾いをしている変人ということで。代表も何度か見かけたが、その人の姿とかぶるのである。

 あのとき「なさけない男だなー」と思った。今自転車にゴミ袋を下げた老人を見ると、「うらやましいなー」という気持ちになる。この歳になるとわかるが、こういう生き方ってよっぽど自分に自信がないとできないし、こういうことを続けられる健康な体と時間と、こういう生き方が許される自由がないとできない。代表の親父の生き方にも通じるものがある。贅沢な生き方なのだ。

 逆説的にいうなら、そんだけあれば他にやろうと思えばたいていのことはやれる。だから自転車の老人も平駅前でリヤカーを引いていた青年も、現実逃避したのではなく、あらゆる選択肢の中からその生き方を選んだにちがいないと思う。毎日刺激的で楽しく充実していて後悔することもないんだろうなと思う。

 もしかしたら、何年後かに自転車にゴミ袋を下げてこの道を歩いているのは代表かもしれない。
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