川内村レポート その3

 今川内村では多くの施設の建設ラッシュだ。利用者がいるのか心配になるが、中学校の裏には温水プール。同級生のしげちゃん家の真ん前にはショッピングセンター。そして、代表の家のすぐ近くには特別養護老人ホームができた。

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 特別養護老人ホームができたことで重度の要介護老人を抱える家庭、負担をかけることを申し訳ないと思っているご本人にとってはありがたいだろう。代表の昼飯仲間の友だちは60歳の定年で全財産を整理して老人ホームに入ったらしいが、快適だと話しているらしいが、これからはそういうライフスタイルが流行るのかもしれない。


 深沢七郎の小説『楢山節考』を読んだのは10代後半だったが、代表の死生観に大きな影響を受けた。というか、『楢山節考』で代表の死生観ができたといっていい。

 小説の内容は、おりんという名の60歳を迎えようとしている女が姥捨て山に捨てられる話で、深沢七郎自身はこの作品でおりんの美しい生き方を描きたかったとしていたが、社会側は高齢者をどう考えるかの社会的な問題提起として受け止めた。

 深沢七郎が何か書いたり発言したりするたびに社会的問題提起やトラブルの原因となってしまう関係というのは深沢七郎が73歳で死ぬまで続くのだが、大部分は深沢七郎側に責任があった。深沢七郎が社会のことなどにまったく配慮しない、今でいう超自己チューの自由人だったからだ。例えば『楢山節考』という題名も『楢山節』としていたら深沢七郎が負う社会性というのは多少は軽くなったと思うが、そういう作家としての感性は持っていなかった。逆にそのズレの部分というのが、他の職業作家にはない深沢七郎の魅力だった。

 とにかく、年寄りは次世代の若者を生かすために死ぬものなんだという、いわば種族保存の原理原則は、あれからずーっと代表の頭から離れたことがない。

 先日、横浜の介護付有料老人ホームで、入居者の93歳の夫が同じ93歳の妻殺したなんていうニュースあったが、すぐ『楢山節考』と結びついて、現代版の楢山節かなー、なんて思えたりした。姥捨て山へ連れて行く年齢の60歳が93歳で、おりんを背負ったのが孝行息子ではなくて夫だったというちがいはあるけども、老人介護施設のような救済システムが現代版姥捨て山だとしたら皮肉な話だ。

 それにしても人間はいくつまで、また、どういう状態で生きるのが幸せなのだろうね。自然界なら弱った順に否応無く倒れていくしかないんだが、立てないくらいに弱っても生かせるだけの技術を人間は持った。幸せの形というものがとても複雑になってしまった感じがする。
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