新構造展 その1

 文学や哲学で構造という言葉を使うときは、出来事を作為的に構築するというような意味を持っていて、あまり良いイメージでは使われないことが多い。新構造というからにはそこを超えようとする新しい概念を目標にした団体かと思い、新構造展に行くにあたっては代表もその辺を試されるにちがいないと考えて少し構えるところがあった。

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 しかし、新構造展の作品には構造を意識したところはなくて、イズムやジャンルに囚われない自由な作品ばかりだった。何かの概念を追求するというよりは創作を楽しんでいる感じのものが多かった。家に帰ってから、新構造展を主催している新構造社のホームページに入ってみると、次のように説明があった。

『新構造社は「美術上の研究並びにその作品発表をもって目的とす」また「純粋なる在野精神を基調とし、作者の自己完成を図ることに重きをなす」また『作者は各自の自由な立場をもって芸術探求を行い、イズムに制約されない、作者の人格を尊重する」ことをもって目的とする。』

 え!?そうなの?それだったら新構造という言葉は団体の性格とぜんぜんリンクしていないじゃない。というか、真逆だ。あ、そうか。構造にこだわらないから新構造というわけだろう。脱構造とかアンチ構造とかにした方がわかりやすいが、わざわざ新構造としたことに命名者の意図があるにちがいない。もしかしたらそのこと自体構造主義的になることを嫌ったのかもしれない。なかなか面白そうな団体なのであった。

 その新構造社の新構造展の写真部門に代表の中学の同級生のノリオ君が、彼は何の会にも所属しないでひとり趣味で写真を撮っているだけのアマチュアカメラマンなんだが、知り合いの会員の方に勧められて出展したというので、飲み会の口実ができたとばかりに同級生7人が東京都美術館に集結した。まだ展示されるかどうかもわからなかったのに。

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 9割方宴会が目的だったので、直前にノリオ君から、2点応募して2点とも展示されることになり、しかも、片方は入賞した、と連絡が入ったときは驚いた。

 明日につづく
 
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