川内村報告 その3

 ケガとか事故とかのトラブルに遭う人遭わないない人、身体や心が不調になる人とそうでない人の境目っていうのは一体どのあたりなんだろうね? 同じように生活しているのに差がでるのは不公平というものだ。

 代表的に突き詰めてみると、その要因はふたつに凝縮されるように思える。ひとつは運。どうにも説明できない自分の意志ではどうにもならないことってのが現実にある。予測も予防も不可能。良い事も悪い事もこればっかりはただ黙って受け入れるしかない。それが運。

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 もうひとつは因果だと思う。
 結果には必ず原因というものがなくてはならない。力が作用した結果変化が起こる力学の世界。世の中の出来事の99パーセント以上これだと思う。

 運の部分はしょうがない。しかし、因果の方はなんとかしたい。できるだけ都合の良い方向へ持って行きたいと考えるのが普通だろう。詩人宮沢賢治は自らの意志で生理までコントロールしたと吉本隆明は書いていたが、人間の心や体というのは、こうありたいとイメージした方向にだいたいは向かうものみたいだ。不調になる人とそうでない人の違いというのは、その方向が違うのと、行くんだという意識の強さの差じゃないだろうか。

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 方向性と想いの強さ。つまり、楽な方へ行くのか苦しい道を選ぶのかということが人生の基本の気がする。楽な方へ行けば怠けてしまうだろうし、苦しい方へ行けば鍛えられる感じだが、身体にとっては楽でも精神的には苦痛だとか、その逆もあるだろうし、どれだけ楽か苦痛かの度合いの問題なんかもあるだろうしで、どっちが良いとか悪いとか、こういう場合はどっちにしろだとか言えないんだが、やっぱり楽な方よりは苦しい道を選んだ方が結果的にいいような、健全な感じがする。親父はそうしているように見え、そのことが骨折入院からの驚異的な回復につながったように思える。一度ダウンは喫したが、痛む身体に鞭打ったことで想定以上の生命力が呼び覚まされ、復活できたということではないか。

 親父の場合にはそういうふうに本能的に身体が反射する、原始人に近いタイプなのかもしれないが、妄想だが、代表が関わって半数以上が何らかの不調を抱えている人たちが、もしも親父みたいにやれたとしたら、不調になるのを避けられたのかもしれないと思えたりする。親父の姿が眩しく見える。

 代表は、今の親父にとって、使える身体機能をフルに使い続けることが大事で、そのためには慣れていて適度に不便な今の生活環境がいいだろうと思っている。もしもそれでケガをしたら・・・また歩けなくなったら・・・と、いろいろ心配はあるが、運も絡むが、なるようにしかならない。結果を受け止めていくしかないだろう。当人ほどではないにしても、それは代表にとっても辛い選択ではある。


 代表は何が言いたかったのか。よくわからない。答えがない厄介な問題なんである。
 
 庭に咲いていた百合の花を見て、誰が植えたの?と娘(長女)が聞いた。自然に咲いたのだと教えてやった。ついでに、根が食用になり、食べ物が少なかった代表の子どもの頃は、掘って生で食べたんだと話してやった。花がひとつなら一年。二つなら二年。花をたくさん付けている百合の根ほど大きく食べ応えがあるんだと。娘が「わたしも食べてみたーい」と言うので、親父が掘ってやった。

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 大きな百合の根が出てきた。

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 娘はそれを砂糖で煮た。百合の香りがする上品に甘いきんとんができた。それを他の料理と一緒に親父の食台にも並べた。

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 親父、娘が埼玉に帰ってしまったら寂しがるだろうなー。それもまた辛い選択だが、その時は近づいている。
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