川内村の新聞社

 ネット上ではゴミ売り新聞なんて呼ばれたりもしている読売新聞が、2014年6~12月の半年間に60万部(6%)以上も販売部数を減らしたらしい。朝日新聞が44万部(5.9%)、毎日新聞が5万部(1.5%)、日本経済新聞が2万5千部(1%)それぞれ減らしたということなので、新聞はあと10年くらいでなくなるのかもしれない。

 代表が週末の早朝に利用する近所のファミレスでは、サービスで、各テーブルに「読みトクキャンペーン」という、一週間無料で購読できることを知らせるシールが貼ってある読売新聞が置いてあって、持ち帰ってもいいのだが、代表は持ち帰らない。ほとんど読みもしない。だって面白くないもの。みんなもそう感じているから販売部数が減ったんだろうなー、と思う。

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 前に書いたっけ?

 信じられないかもしれないけど、あんな小さな川内村にかつて新聞社があったんだよ。双葉タイムス社といって、社主は代表の祖母の二番目の夫だった人で、このあたりの人間関係は複雑なので省略するけど、〇〇おんつぁと呼ばれていた。代表も〇〇おんつぁと呼んでいた。当時もう60前後になっていたと思う。社員はなく社主ひとりだけの極小新聞社だった。

 〇〇おんつぁは、川内村の毛戸地区の裕福な地主の家に生まれた。東京の私学に行って、帰省するときは富岡駅に5,6人の使用人が出迎えるくらいの坊ちゃんだったんだが、親父さんが博打で全財産をすってしまった。一転極貧になった〇〇おんつぁは、川内村の小学校の教師になった。が、甘やかされて育ったので放縦な生活がやめられず、職場放棄してあちこちに女をつくって子供を産ませるとかやりたい放題やって首になり、落ちぶれて、祖母の実家の離れの、県道399号線に沿って流れる小川の傍の、6畳ほどの日当たりの悪い、ちゃぶ台ひとつだけの部屋に居候して住みついていた。そこで、双葉タイムスという、A3サイズくらいのわら半紙1枚のガリ版刷りの新聞を発行して生活していたのだった。

 信じてもらえないだろうけど、代表は双葉タイムス社の営業と集金担当だったことがある。小学校3年から4年にかけての頃だ。そうやって〇〇おんつぁを、つまりジャーナリストという人種を観察していた。一体どういう子どもだったんだろうなー、代表って。

 そんな経験があるもので、新聞という媒体のいやらしい部分や、売文で暮らしを立てることの悲哀、矛盾というものが少しだけわかる。新聞は社会の木鐸を装いながら、金を稼ぐためなら嘘でも悪口でも何でも書く。金儲けの手段だから。読売新聞でも日経新聞でも同じなので、開いてみるといいよ。全部記者クラブでもらった同じ記事で、あとは広告。社説さえも洗脳宣伝広告だから。下心がストレートで恥らいというものがない。それだけ読者を馬鹿にしているのだろうね。

 思い出すなぁ。双葉タイムス社にはよく借金取りが来たが、〇〇おんつぁは「明日集金したら払う。」「村長選挙になったら大金が入る。」とか言いつくろって逃げて、代表が集金してくると、その金を持ってすぐに遊びに行った。わざわざ平まで行って、酒を飲んだりパチンコをやったりして、必ずスッテンテンになって帰ってきた。そんなことを繰り返して、代表が高校生になった頃に性病が脳に転移して死んだ。そのときに川内村の新聞社も無くなった。

 代表は集金が嫌いだった。ふつう子どもがお使いにいけば「えらいねー」とほめられるもんだが、露骨にイヤな顔をされた。どうも〇〇おんつぁのやりかたというのは、契約もしていない家に無理やり新聞を置いてきて、後で集金するというものだったみたいだ。代表もそれを感じてイヤだったが、一軒集金できると10円もらえたので、我慢した。代表も卑しかったのだね。読売新聞や〇〇おんつぁのことは言えない。
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コメント

芥川賞候補
ユニークなおじさんですね。この人を主人公にした小説が書けるんじゃないでしょうか。
代表のの文才もこの方の遺伝子を受け継いであられるようですし。
現代マスコミの風刺なども入れれば、ある種の社会小説になって面白いと思いますが。
チャレンジですよ。
そんなことしたら川内村にいられなくなります(笑)。

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