面白き ことも無き世を 面白く・・・東京藝大卒業・終了作品展(また書きかけ)

 この記事も書きかけのままだった。(-"・)>

 他にも「芸術で復興は可能か?」とか『吉田調書(東電の方)』が書きかけなっている。深い問題を考えるにはかなりの紙数と余裕が必要だが、時間と筆力がない。機がくるのを待つしかない・・・。

 では、つづき。

 それにしても、どうして東京藝大卒業・終了作品はこうも面白く、たくさんの人たちが鑑賞しに来るんだろう。

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 コギト。代表の頭に浮かんだ言葉。
 コギトというのは、人間であるための第一の基本原理だとしてデカルト(哲学者)が考えたもので、「わたしは思考する」という、人間の思考作用のことを指す。近代哲学の軸だ。「我思う、故に我有り」というカントの言葉は、原語だと「Cogito<コギト>, ergo sum.」というらしい。代表はよく理解できないが、自分が見たもの、思わないものは存在しないのと同じ、と自分なりに解釈している。

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 たとえば、宇宙というものが存在すると仮定するならば、宇宙全体を見る(把握する)自分、あるいは、自分以外の自分と同じように見る客体がなければならない。それができないんだったら宇宙は存在しない、という思考法。人間が夜空を見上げて「宇宙って広いんだなー」と思ったりするが、それで宇宙が存在するということにはならない。

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 自分自身が見えるものだけ、把握可能なものだけがこの世のすべてなのである。唯物的なんだね。自分が見ている色がほんとうの色で、他の人が見ている色はちがう。自分が感じている冷たさが絶対の冷たさなのであって、他の人が感じている温度はちがう。そうかもしれないし、そうでないかもしれないが、どうにも確かめようがないので、とりあえずそう考えることにする。

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 そういうものだとしたら、なんで代表は、いや、代表だけでなくたくさんの人たちも含めて、他人の感性、東京藝大卒業・終了の作品を、遠くからわざわざ見に来て、作品の前に立って、「わかる」だとか「好き」だとか「共感する」だとか「素晴らしい」だとか、あるいは「つまらない」とか「気持ち悪い」とか、そういうことを言うのだろうね。

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 それ以前に、どうして藝大の学生さんたちは、超難関にもかかわらず仕事に困るような東京藝大に苦労して入って、何年も悩みながら作品を制作して、展示するんだろうね。それぞれ感性がちがう。しょせん分かり合えないものなら、そういうことって無駄じゃないのか。

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 作品の前に立つ。それは自分の前に作品があるからではなく自分の内部にある何かが作品に反応するからだ。鑑賞者は、作品を見ながら自分を見ているのである。作品や作者のことを考えながら自分の内部と照らしている。

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 そして、ふだん意識せずにいた内側が、作品や作家との対話によって引き出される。

 つづく
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