代表の3月の予定

 連絡することがあったため、ひとの駅の事務局だった斎藤昭蔵さんに、しばらくぶりに電話した。

 震災後の新しい拠点となった三春の木楽は、現在はギャラリーはやめて木工教室だけやっているということだった。ギャラリーを切り盛りしていた奥さんのきい子さんは外に働きに出ているという話。昭蔵さんが話してくれた理由というのは「お客さんが来なくなったから」とのことだった。その変化に代表は驚いた。あんなに賑やかだったのに。

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 昭蔵さんが川内村に移ったばかりの頃、商売がうまくいかなかったとき、よく「三春にしておけば・・・」と話した。ほんとうは三春でやりたかったということを、三春だったら郡山に近いから人が沢山来てくれるということを、盛んに口にした。

 昭蔵さんが言った通り、震災がきっかけだったとはいえ、活動の拠点を川内村から念願の三春に移した頃は順調だった。さすが昭蔵さんだなーと思った。地元の人たちが大勢集まって盛り上げ役になっていたし、川内村時代のお客さんが避難先から来てくれていた。

 が、どうしたわけか営業方針が変わっていった。昭蔵さんが木工制作に充てる時間を優先しつつ効率よく利益を上げるというような方向になった。だんだん営業日が少なくなって、それもしょっちゅう変えられた。いちばん大きな変化は個展を受け入れなくなったことだろう。準備がたいへんな割に関係するお客さんが少ない、というのがその理由だったようだ。

 当然作家さんは木楽に行かなくなってしまった。ユニークなギャラリーだった木楽は、なんだか骨董屋そのもののようになってしまったと代表は感じていた。客層が変わって以前のお客さんの足が遠のいて、期待した木工や骨董のお客さんは増えなかった、ということではないのかな。昭蔵さんの口端には「東電の責任」という意味のことがのぼることがあったので、代表が想像するほど単純なものではないのかもしれないが。

 昭蔵さんは、川内村に来て商売がうまくいかなかったときには「三春にすればよかった」と言った。川内村に来る前は「おれが川内村にお客を連れて行くから大丈夫だ」と話していたのだった。昭蔵さんと奥さんの才分を持ってすれば、場所はどこであってもうまい商売ができたろうと思うが、昭蔵さんの宿命なのかな。商売がある程度うまくいくと、自分がやりたいことを優先してしまうところがあるように思う。例えは悪いが、金をつかむと賭場に走ってしまうギャンブラーの姿と重なる。才能がある人は、天分の反面としてのネガの部分も強く表れてしまうと言うことなのかもしれない。

 代表の3月の予定です。
3月1日(日) 団地の仕事 (川越市)

3月7日(土) 未定
3月8日(日) 団地の仕事 (川越市)

3月14日(土) 未定 
3月15日(日) 団地の仕事 (川越市)

3月21日(土) 白日会展 (国立新美術館・六本木)
3月22日(日)  ↑ 予備日  

3月28日(土) 未定 
3月29日(日) 団地の仕事 (川越市) 

 団地の仕事が忙しいが、どこかで一週間くらい川内村に行って、ひとの駅を引き払わないといけない。
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コメント

残念です
流石に代表は正確に分析されていますね。私の感じていたことを全て明確に指摘されていると思います。私もずっと行ってません。絵のあったころはほぼ毎週通っていたんですが、絵がないと他にあまり見るべきものがないんです。素人の絵の展示で利益を上げるという事の難しさがあるんでしょうか。それにしても木楽はビジネスのコンセプトが曖昧だったんじゃないでしょうか。絵画の美術館なのか、ただのリサイクルショップなのか何をやりたいのかが見えてきませんでした。それとあの施設は復興のシンボル的な意味合いがあったように思うんですが、それにしては雰囲気が暗すぎました。皆を元気づけるような明るい話題が必要なのに、放射能のデマとか恐怖とかを煽るようなことばかり強調されていたのです。全てがちぐはぐだったと思います。

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