親父の冬支度

 先週末は川内村に行って親父の車のタイヤ交換をやりました。夏タイヤからスタッドレスタイヤへの入れ替え。

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 親父の車は、ホンダのアクティバン2代目モデル。1990年。それまで550ccだった軽自動車の排気量が660ccになってパワーアップしたんだが(といってもたかだか40馬力もない)、中古車が狭山のダイハツ販売に展示してあったのを通りがかりに見つけて買った。70万円くらいだったかなー。ずいぶんお買い得だった記憶がある。

 親父が乗ったのは代表が1年くらい使ったあとのこと。しかし、親父も1、2年乗って一回手放した。知り合いからトヨタのスターレットをもらったため、珍しさもあってそっちに乗り換えた。そこでアクティバンは妹のところにもらわれていった。妹の子育て期間に長く重宝されてから、2007年あたりに、アーティストの卵だったホリロが川内村に住むという話になったことがあって、彼女用にと考えてまた代表の手元にもどしてもらった。結局、ホリロにはふられてしまって浮いてしまったんだが、そこからまた親父が乗った。親父の生活スタイルに合っていたらしい。そんなこんなでかれこれ25年ちかく乗っているが、故障らしい故障というのは一度もなかった。マフラーに穴が開いたのとアンテナが折れて交換したくらい。まったく丈夫な車だ。

 エンジンや足回りは代表が時々チェックをしているものの、冬場に融雪剤がまかれた道を走るためにボディが錆びるのは防ぎようがない。なのでもうボロボロ。そのため、ジャッキアップする部分が弱くなっていてグニャっと潰れてしまう。

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 潰れないところを見つけてジャッキアップしないといけないんだが、親父にはできないので、この3、4年は代表がタイヤ交換作業をやっている。新しい車を買ってやろうか?といっているんだが「まだ乗れる!」といってきかない。面倒だが、親父の言っていることの方が正しいとは思う。

 作業しながら親父と話をする。
「帰っとぎ野菜もってげ!」親父がいう。いつも何かしら持たされるのだ。
「父ちゃんがつぐったやづがい?」
「もらっただ!いっぺもらうがら、ひとりでは食いぎんにぇ!」
(いつも親父をみていてくれる人たちがいてありがたいことだ。)

「カイロももってげ!」
「あ?カイロって?」
思わず聞きなおした。これまでに色々なものがあったけどもカイロってのは初めてだった。なんでカイロなのよ?

 親父が話すところによると、最近、村の有線放送で「北海道の支援物資がありますのでほしい人は取りにくるように」と連絡があったらしい。「北海道ではカニだの昆布だの鮭だのイクラだのごっつぉにちげぇねぇ!」と思って喜んで行ったら「北海道」ではなく「ホッカイロ」の聞きまちがいだったとわけで、カニだの昆布だのではなくて、プラスチック袋に入っていて揉むとしばらく温かくなるあのカイロ、それをひとりにダンボール1箱配られたということだった。

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「(さもしい考えだからそういうことになるんだよ)あはは・・・」代表は笑った。

 しかし、親父は笑わなかった。本気でがっかりしている。カニやイクラにありつけなかった悔しさがまだもって続いている。自分が悪いのではなく紛らわしい言い方をした方が悪い。親父としては騙された感じになっているようなのであった。親父の頭の中はどうなってんだろう?と思う。

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 親父はいつも自分の世界にひとりで住んでいる。常識と非常識の境目のわずかな隙間。人生の悲喜劇の営みの果てに行き着く場所だ。親父のような人間にとって自分勝手に生きられない社会は窮屈なのだろう。すでに社会常識というものは何の価値もない。煩わしいだけのことだ。そこからたまーに、本人が気が向いたときにだけ社会に出てくる。それなのにカイロじゃ納得できないということだろう。

 代表は、社会の煩わしい関係性の側に身を置いて、ときどき親父の世界を覗きにくる。それは、己の孤独、虚無の影を覗くことでもある。しかし、ペーソスである。
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コメント

以前から八木澤さんのお父さんの生き方に憧れを感じていたが、私も80歳に手が届く現在、一人ぼっちの場所が居心地がいいし、非常識の世界に居る方が長く、常識の世界に戻るのが億劫になる。
ただ何故か若者と話すのが何よりも楽しいのである。
私の方の世界から見ると、若者の方がが非常識の世界に居る様に感じられるからかもしれない
時代時代で常識が変わりますね。奈良時代の建築物に大工が書いた「最近の若い者は・・・」という落書きがあったのはよく知られています。私たちも新人類と呼ばれました。今の若者は超人です。すでに非常識が常識じゃないでしょうか。

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