ザ・ラヂオカセッツのライブを聴きに郡山に行く(後編)

 さあ、今晩完結するのか?(笑)。

 郡山駅前の風景を見て「懐かしい」と言った長女。「ここも覚えている。ここも。」と指をさして話すのだった。

 長女が物心ついてから何回くらい郡山に来たんだったか。そんなには多くない。高校に入ってからは激しい反抗期だったからあまりついて来なくなったし。平均して一年に二回くらいのもんだろう。川内村に来たときに一日だけ郡山に来て、買い物をしたり、食事したり、ROUND1で遊んだりしたものだった。妹や弟の家族が一緒だったこともあるし、我が家単独のこともあった。

 「そんなに来たっけー?」と代表が言ったら、「そんなには来てないんだけど、いつも楽しくて、そういうことと一緒によく覚えているよ。」ということだった。そして、「郡山を思い出にできててよかった。」といった。長女にとっては、川内村とセットで、自分の田舎の一部として郡山があるようなのだった。それから、二人の話は小さかった頃の思い出に及び、どんぐり拾いをしたことだとか、アケビやサクランボを食べたこととかをとめどなく話した。

 ライブ会場のまねきの湯は、よく家族で遊んだROUND1と同じ敷地の端っこにあった。いやー、こんな場所にこんな施設があったとは驚いた。これまで気づかなかった。知っている人は知っていると思うけど、そこは広くて、埼玉と変わらないような安売り雑貨店や牛丼屋とか回転寿司などの店舗が集まっているところだ。そういうのに気を取られてここまで目が届かなかった。

 代表と長女はうどんで昼飯をすませて、ライブ開始時間の15時30分にはだいぶ間があったが、温泉でも入って待とうよということになって早々にまねきの湯に入った。

(写真はライブが終わって出るときに撮影したものです。代表のおでこが満月。)
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 まねきの湯の入館料は500円。かわうちの湯の回数券と同じ。しかし、設備の内容ははるかに充実していて、温泉が7つの浴槽(8つだったかな?)とかわうちの湯の3倍ほどのサウナ。タオルは無料で貸してくれる。もちろん売店や休憩室やゲーム機、飲食内容もあり、料金もリーズナブル。オールナイトの営業で、しかも、ライブがあるときも入館料だけというサービスぶり。なのになぜか空いている。みんな知らないんだろうね。穴場だ。今度家族で郡山に遊びに来ることがあったら他の家族も連れて来ようと思った。
 代表は1時間半も温泉につかってのぼせ気味になった。長女はもう出たかも?と思って上がったが、まだ出ていなかった。二階のライブ会場の方からなにやら音楽が聞こえるので行ってみた。ザ・ラヂオカセッツと、この日一緒にライブを予定している地元のグループひとりぼっち秀吉バンドが音合わせをしていた。

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 じつは代表、こういう裏側の部分の方がなんとも好きだ。ゴルフのトーナメント観戦に行ったりしても練習場でのウォームアップばっかり見たりしている。本番はつくられるものだが、準備段階は本音の部分が露になる。わかりやすいのである。彼らのリハーサルを観察していると、どういう音楽を目指しているのか、コンセプトを主導しているリーダー格がだれなのかなんてことが、なんとなく伝わってきてとっても面白かった。長女を呼ぼうと思ったら終わってしまった。

 ライブの前、抽選イベントなんかがあってから、いよいよ開始時間になった。

 いきなり始まるのかと思ったら、まず「会場の空気を暖めます」ということで、まねきの湯のマネージャーとスタッフの4人が自作と思われるテーマソングを披露。これがまたとってもよかった。

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 そりゃプロではないし、ゲームセンターの中にあるようなステージなので雰囲気と音的には限界があるが、客と出演者への気配りがほのぼの伝わって、ジーンとくる感動的な前座だった。こんなに観客が少ないのにどうしてライブがやれているんだろうと不思議だったが、まねきの湯のライブというのは、このスタッフたちのサービス精神と情熱とで続けられているんだろうと思った。益々家族を連れてきたくなった。

 そして、ライブが始まった。最初はひとりぼっち秀吉バンドだ。ところが、というか予想通りというか、観客が少ない。ライブ会場の4分の1くらいかな?

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 それでも、聴きにきた人たちは熱烈なファンらしく、ステージ前につくられたフロアに畳を敷いただけの特別席に陣取っていたので、そこだけは期待感でムンムンだった。

 こんな感じ。
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 代表は、震災以降まったく歌というものが聴けなくなっていた。興味をなくしていた。被災のためとして作られ歌われる歌の言葉の軽さとか、メロディーの安っぽさとか、こういうときとばかりに売り込むアーティストのえげつなさとか、そいうのがほとほと嫌になってしまった。歌だけでなくテレビやラジオや新聞雑誌本の類についても感心がなくなった。

 しかし、代表は知らなかっただけだった。こういう歌と場所が残っていた。残っていたのではなくて新しいのかもしれないが、ひとことでいうなら誠実だろうか。脅しや飾りのない素直なメロディと言葉で語りかける若者たち。何にも媚びない。ゆるぎない自信といったものを感じた。目的がはっきりしているのではなく、歌が好きだとか、あるいは歌うことが生きることと同じ使命のような人たちなのだろう。長女が好きなザ・ラヂオカセッツもはっさくも同じだと思う。メジャーでない彼らのようなミュージシャンがどれくらい存在するのか代表にはわからないが、音楽に限らず、メジャー媒体にのらないところにこそいいものが残っている予感がした。メジャー媒体で流されるものはメジャーが利用しやすいものなわけだから、テレビやラジオ新聞媒体などで取り上げられるものが結局、ダメなものの証拠だったのである。そればかり見せられていたというわけだね。

 ひとりぼっち秀吉バンドとザ・ラヂオカセッツ。そのファン。まねきの湯のスタッフ。そういった媚びない流されないしっかりした価値観を持った人たちに代表は尊敬の念をいだいた。

 そしてザ・ラヂオカセッツの番。ひとりぼっち秀吉バンドのホームグランドともいえる郡山で歌うザ・ラヂオカセッツはファンよりも興奮気味の印象だった。

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 ひとりぼっち秀吉バンドよりはちょっと都会的なテーマと詩とサウンド。代表が若い頃に聴いたフォークソングに通じるものがある。そうか。ザ・ラヂオカセッツとはそういう意味だったのかと気づいた。カセットラジオで聞いた音楽。心の優しい部分で感じられる心地良いサウンドであった。

 ライブが終わった。第二部が19時からあるが、帰らないといけないのでそれを聴くことはできない。

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 CDやグッズを販売しながらファンと交流をするグループのメンバー。時間をかけてひとりひとりとゆっくり話をするので、1時間近くそうした交流がつづいて、ザ・ラヂオカセッツのCDは売り切れてしまったそうだ。

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 長女は今月末に都内で行われるライブのチケットを買っていた。メンバーから直接買うといい席に座れるらしい。今日は貸切みたいな会場のこんなに近くで聴けたんだから満足だろう。

 まねきの湯をあとにして、家内に頼まれたままどおるを買うため郡山南インターの手前の三万石に寄った。

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 閉店が7時なのにこの時すでに7時近く。危なかった。もうちょっと遅れたら買えないところだった。それから安達太良SAに寄った。震災後しばらく『復興応援丼(だったかな?)』というのがあったので長女に食べさせたかったんだが、もうメニューから消えてしまっていた。仕方がないので他のを食べたが、それでいい。もう震災など忘れたほうがいいのだ。

 帰りを急いだ。次の日代表は休みだが長女は仕事がある。

「お父さん」長女が呼んだ。
「ん?」
「お父さんの子どもに産まれてよかった。」
「・・・そうかい」
「お父さんの子どもに産まれてなかったら福島も知らなかったと思うし、車の免許も取らなかったと思う。」
「そうかな」
「お父さんを見ていたからいろんなことをやってみようと思ったし、やらせてくれた。」

 長女に悩みがあることは知っていた。4年間勤めた老人介護の仕事を辞めようとしていたのだった。長女がその仕事をやりたいといったとき、それまでほとんどやりたいということに反対しなかった代表は反対した。

 これはむずかしい話なんだが、代表の個人的な考えとしては、人は老いたら死ぬのであって、ただ命だけがあるという状態を維持するために家族や社会が負担を強いられるのは間違いだろうと思っている。生命交代という自然の摂理に逆らって、それを商売にすることの不条理。そこにどれだけのいやらしい計算があるかはっきりしているからだ。代表は経験したことしか話せないので、どうしてそういう考えを持つようになったかは代表の体験からなんだが、はしょってしまうと説明不足で誤解を招く可能性があるので、これについてはいつか時間ができたときに詳しく書きたいと思う。とにかくそう考えるに至った。

 長女の就職について家族で話し合ったとき代表は「介護の現場というのは新しい価値がつくれないから儲けを生まない。伸びることはあり得ず必ず破綻するようになっているんだよ。将来性はゼロ。」というようなことをいった。長女は「そういう問題じゃない。困っている人を助ける仕事なのよ。」と反論した。

 すると、家内がまた横から割り込んできて「○○○(←長女の名前)はそういう会社にしか入れないんだからしょうがないじゃない!どうしてお父さんはそうやってみんなを傷つけるのよ!妹さんだってこぼしていたわよ!」なんて、長女をさらに傷つけて代表もムカッとするようなことをいうもんだから、妹に電話することになったりしてひと悶着あったんだが、それは置いておいて、結果的に長女は代表の反対を押し切る形で老人介護の仕事を選んだのだった。

 しばらくは楽しそうだった。活き活きと仕事をしていた。頑張ったので他の同期入社の人よりも責任のある仕事を任されるようになったらしい。長女に合っていたのかなと代表も思った。しかし、現場を離れた、ローテーションを組むような事務仕事や新人に教える講習なんかが増えてくると、直接の達成感というのが得られなくなったみたいだった。そうして、好きだったから耐えられた介護の現場の厳しい労働もだんだん辛くなってきたんだろう。老人を商品としか扱わない裏側の事情もわかってくる。3年経ったあたりから少しずつそういうことを口にするようになった。だが、代表の反対を押し切って選んだ手前、代表に正面切って「辞めたい」とはいいにくかったのだろう。

「わたしが仕事を辞めようと思ったのはね・・・」
話は予想していた通りだったが、黙って聞いた。仕事を辞めたら3ヶ月くらい川内村で暮らしたいということだった。「子どもの頃から川内村へ行くとリフレッシュできた。今度も川内村でリフレッシュして、リセットしてから新しい仕事をはじめたいの。」と。

「そうしなよ。」
代表はいつだって反対しない。反対するふりをしてヤル気を試しているだけだ。長女はスッキリしたのか、川内村でやりたいことを話し出した。いい経験になっただろう。人生にこういうことは何度もある。前の失敗を活かしてだんだんに強くなっていくしかない。はっさくも歌ってる。

♪前を向いてみなよ 
 君は 仲間や生きる力を 持ってんだよ

 今はちょっと辛すぎるけど
 夜におびえて涙も流すけれど
 ふるさとには 今日も風が吹くから
 ほんの少しだけ笑ってみせてよ♪

「川内村でバイトしたい。」
「除染の仕事がいいらしいぞー。一日2万円になるってよ。」
「絵を習いたい。」
「絵を描くのが好きだったもんなー。

【長女の描いたイラスト『弟』】
かっちゃん1

料理も上手なんだし。最初からそういう方向に行けばよかったんだよ。」
「それは気分転換のためにとってあるのよ。仕事にしたら嫌になっちゃう。」
「仕事は仕事。遊びは遊び。割り切ってやるもんなんだぞ。」
「事務だけはぜったいヤダ。鶴田さんて、絵教えてくれないの?」
「どうかなー。」
「聞いてみて。」
「うーん。」

 とにかく、自分の人生なんだから、悔いの残らないように思いっきり楽しめばいい。というようなことを話し(たつもり)ているうちに川越に到着した。

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 代表が一番納得した旅だった。
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コメント

なんだか私まで代表の娘になったみたいに泣けてきました。勇気付けられました。
介護の事とか、失敗する事が成長に繋がってるとか、なんか自分の事のよう。
娘さん、応援してますよー。
鶴田さんに絵を教えていただけることになり、とても喜んでいました。絵ができたらみてやってください。

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