ボンネットバスのこれからについて

 そろそろ報告しておかないといけない。ひとの駅のボンネットバスは、郡山市の五百目自動車工業というところに引き取られることになった。そこの代表の横田久雄さんの手で再生されることになった。いや、まだ再生できるかどうかわからないんだが、トライしてもらえることになった。

 ひとの駅をたたむことに決まってから、代表は横田久雄さんと話し合いを重ねてきた。併行して、ボンネットバスを運んできた故遠藤隆之さんのご家族のご意向を確認したり、岩城森林管理署に行って富岡営林署の記録を確めたり、内郷の陸運支局へ相談に行ったりした。代表としてできることは全部やったと思う。あとは信じて委ねるだけだ。

 横田久雄さんは趣味で旧車を再生しておられる。たとえば下の写真のバスもレストアされたものだが、このバスの場合は10年かかったそうだ。

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 元は大滝根山の自衛隊のバスで、基地内に放置されていたものらしい。川内村の盆野球大会に自衛隊チームが参加していたころは、きっとこのバスに乗って来たんだろうね。自衛隊のユニフォームの色は濃いグレイだったような気がする。

 ひとの駅のボンネットバスの製造年は自衛隊のバスより更に7年も古い昭和40年。メーカーは日産だけど、実際に製造したのは富士重工業だから、まだゼロ戦を作った技術者が関わっていただろうと代表は思う。遇って話をうかがいたいものだが、関係者の方たちはご存命だろうか。このバスを運転した人。このバスに乗った人。もしいらっしゃるのであれば、聞いておかなくてはいけないことがたくさんある。ほんとうはひとの駅も残すべきだと代表は思うんだが・・・川内村が決めたことだからしょうがない。

 さて、バスを運び出す日は11月22日(土)に決まった。雪が降る前に工場に入れて錆止めをしておきたいという横田久雄さんのご要望でその日になった。カレンダーを見ると仏滅で小雪。たしかに川内村の11月末はもう冬だ。雪が降ったっておかしくない。矢大臣峠にしても滝根の峠でも雪が降ったら越えるのは難儀だから、なんとか好天になってくれることを祈りたい。ボンネットバスを無事に送り出したら代表の冬支度です。
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コメント

時代の趨勢
芸術的に貴重な題材が失われるというのは絵描きとしては残念ですが、町全体の復興構想から外れているとなるとやむを得ないことなんでしょうね。
いわき辺りの海岸線も巨大な防波堤が延々と構築されて、見る影もなくなってきています。
津波対策と言われれば何も言えません。
日本にはもう風景画の題材になるような景観は無くなってしまうんじゃないでしょうか。
我々もこれからは実景に拘らず、鶴田さんの斬新な幻想作品みたいにイメージや抽象に題材を求めるべき時に来ているんでしょうかね。

公募の選考基準にも時代を反映したものと明記されていますから。
その繰り返しでしょうね。現代でも江戸や明治の景観は失われ、戦後の農地改革で掘り返されたけ景色にノスタルジーを感じているわけですから。防波堤や原発にノスタルジーを感じる時代が来るんじゃないでしょうか。

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