表面の影の梱包

 もうずいぶん昔のような気がするがまだ4年半しか経っていなかった。藤原洋人さんが作品「表面の影」の飾り付けのためにひとの駅かわうちに来たのは2010年2月だった。あの時の藤原さんは東京芸大の大学院を卒業する直前で、修了作品展の展示が終わってすぐに、同じく大学院卒業直前で修了作品を提供してくれた中内安紀徳さん安田充岐さんと3人で訪れたのだった。実際の時間の経過よりもずいぶん前のことに感じるのは、いろんな理由が考えられるけど、やっぱり3.11以降の泥のように濃い時間があったからというのが大きいと思う。代表にとってあれ以降の時間の質感というのはまったく違う次元になった。

 ちょっと寂しいんだが、「表面の影」がここを去って藤原さんの元へ帰っていくことになった。

14092901.jpg

 10月末頃に代表の軽トラで取手市まで運ぶ予定。この日はそのための梱包作業だ。緩衝シートで包んで藤原さんが作った専用の箱に入れる。
 梱包しながら考えた。今頃遅いよだが、なぜ「表面の影」なのだろう?作品は、丸太を旋盤のような機械で多少の変化をつけて細長く削った上で半円に割り、それを4本セット台に立てただけのものである。「表面の影」と名づけるけらには作者が見せたいのはその形でなく「表面の影」という話なのである。どこの表面の影なのか?わからない。影は形を明らかにするとも考えられるが、それではあまりにあたりまえすぎる。もっと深い創作意図があるはずなのだ。

表面の影を意識してこの作品を見た人はいなかったろう。代表もだ。しかし、何かを感じた。それが何だったか思い出すと、作品そのものではなくて作品が置かれた空間だった。

 「表面の影」は、画が展示してある教室に藤原さんが飾り付けた形を踏襲していつも4本一列に並べて置かれていたのだが、文字盤がなくても時計の針だけで時間を感じるイメージというか、存在をあまり意識させずに空間を感じさせることができた気がする。ひとつは4本の遠近感で。もうひとつは床や壁に落ちた影で。

そのように考えると「表面の影」はわざと自身の姿を意識させないような意匠をまとっていると思われてくる。材料が木で肌は削ったまま。細く長くそれだけで余分な装飾が一切ないところ。4本とも一分の傾きもなく垂直に立っている(4年半経過してもまったく狂いとか変形がない!)ところだとか。自然に見えながらしっかりと空間というものを演出している。「表面の影」自体が究極の影のような存在なのかもしれない。今度藤原さんに会ったら聞いてみよう。

 梱包完了。

14092902.jpg

 ひとつずつひとの駅という空間を演出した作品が消えて行く。それらを見届けたら最後はひとの駅が。最後の最後は・・・代表だね。
スポンサーサイト

コメント


管理者のみに表示

トラックバック