吉田調書 その3

 代表は吉田調書に激しく同期した。技術者として。政治や会社に対するスタンス。社会的価値観。そして加害者なのか被害者なのかわからないが、おそらく原発事故の直接の当事者として共通点が多かった。それから、代表が想像していた部分、たとえば、東京消防庁のハイパーレスキュー隊の活躍などはまったくの虚構であったことなどがわかってかなり動揺した。それから、ぼーっとしてしまったのか、いろいろおかしなことが起こるようになった。

 土曜日の夜、家内と長女と食事に行ったとき、食堂の入口でひっくり返った。雨が降っていて少し濡れてはいたが、立った姿のまま天地逆さまになるような経験ははじめてだった。

 昨日、『吉田調書 その2』を書くのに2011年の3月末に震災後初めて川内村に行ったときの写真を使おうと思い、写真をストックしているフォルダを開いた。そのフォルダだけが消えていた。なぜだろう?無意識のうちに消してしまったのだろうか。そういうわけで、昨日のブログは写真が貼れなかった。

 今日、会社の帰り道、まとめものをするためにちょっと遠回りして、めったに行くことがないコーヒーショップに寄った。

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 あまり集中できなかったので、1時間ほどで引き揚げた。そこから川越街道を北上して、国道16号線にぶつかったところで西へ走り、ロジャースの横を通って川越郵便局を左に曲がった。そこを1kmほど行って右折し日高県道に出るつもりだったのだが、ひとつ手前の交差点で曲がってしまい尚美学園大学の方に向かってしまった。それでも方角的には間違っていないので、住宅街を抜ければ日高県道に出られるはずだった。ところが、迷ってしまったのである。あんな自分家の目と鼻の先で。

 小一時間ほど迷走して、気が付いたら国道16号線に戻っていた。尚美学園大学から国道16号線に出るためには必ず片側一車線の大きな通りを横切らなければならない。しかし、横切っていないのである。横切ったのかもしれないが、記憶がないのである。しかも、目指した方向とは真逆・・・。

 吉田昌郎氏は、記憶がところどころ途切れていた。「記憶がすかすかだ」と述懐している。あまりにも過酷な状況だったために本能が忘れさせているんだと思う。自分を生かすために無意識が嫌な記憶を消すようなことをやっているんだと想像する。

 共感や同情する部分が多くて、代表の精神はそこまでシンクロしてしまったというのだろうか?
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