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横溝森子さんの詩 4作目

 田村市三春に避難中の横溝森子さんから電話が来て、「詩を読むから書き留めてブログにのせて」とのことだった。写真は?って聞いたら「前に撮ったのでいいわよ」ということなので、とりあえずそういうふうにして紹介してみます。

【写真は2009年に撮影したもの。中央が横溝森子さん。左手前は斎藤昭蔵さん。】
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『 「三春にて」 -横溝森子-

 原発事故以来 ちっとも落ち着かず
 やっとの思いで三春に来た

 庭にいろいろな草花をいっぱい植え
 毎日眺めては ああいいなーと思いきや

 ちょっと人が来たりすると 誰が来たのかと聞かれ
 原発でもらったお金で新車買ったのかと言われる
 人はそんなふうに思っているんだなぁ

 近所の人にこんにちはと挨拶しても そっぽを向かれる
 どうしちゃったの?何なの?と思い 違う人に言うと
 原発からお金もらっているからだべ と言われる

 ここにいる間 生きている限り
 そういうふうに言われ思われるのかと思うと
 ガラガラと崩れ落ちる心の音が聞こえる    』

 代表はこの詩を読んで、横溝さんはもう大丈夫だな、と思った。
 これまでに3回横溝森子さんの詩を受け取って代表のブログで紹介した。一作目『とりあえず』は震災直後の不安を綴ったものだった。二作目『還暦』は生きていることへの素直な反応。三作目『夫へ』はご主人への感謝の気持ちを書いたものだった。

 普段の横溝森子さんがどういう女性かというのは割愛するけど、それらはいずれも普段の横溝森子さんらしくないものだった。異常な状況下の異常な心理状態の異常な行動だった。切迫感があり言葉を何かに利用しようというような余裕はまったくなかった。だから詩になった。
   
 申し訳ないけど、今回の作は不純物が混じってしまって、代表的には詩だとは言えない。何と呼んでいいのか、あえて言うなら散文かな?横溝森子さんはもう詩を書く必要がなくなった。平常にもどったんだと思う。その平穏な生活が物足りなく感じているくらい平常なんだと思う。「川内村にもどったら?」って言ったら、「家売っちゃったのよ。」ということだった。

 他所へ移った何人かの人たちと話した印象では、横溝森子さんと同じようになんとなくイライラしている人が多いみたいではあった。被災地が最悪で、そこに較べたらどこだって少しは良いだろうと期待して移って行って、最初の頃は移った先の面倒なことも良い部分として受け入れられたようだが、今では滅入っている。ホームシックというか、隣の家の芝生は青く見えたんだが、タイミング的に、やっぱり元の所が良かったのかなー?という気持ちになったのかもしれない。

 不謹慎な考えだが、代表はただの反作用現象じゃないかと思う。環境が変わった時には多かれ少なかれそういう心境になるもんだし、なんせ数百年に一度の大地震だったので、震災の恐怖、あの時の悲痛や興奮が麻薬的に働いて中毒した人が多かった。今、禁断症状が出ている段階なんだと思う。その苦しみを回避するためにもっと強い毒、刺激が必要になっているというわけで、家を売るなんていう思い切った行動もそういうことの現われなのかもしれないと思ったりする。

 「病気は別の病気にかかることでしか治らない。」と誰かが言っていた。もちろん、ここでいう病気というのは身体的なものではなくて考え方のことだが、ほんとうにそういうものだとしたら、今は進んで病気にかかったほうがいいだろうと思う。新しい目標とか生きがい。そういうのが新しい病気というわけだ。
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