頑張れ!小保方晴子さん!理研の終末の巻2

 個性とはイコール狂気だと代表は思う。個性イコール病といういい方もできる。極端ないい方だと思われるかもしれないが、少なくとも代表の人生経験において、個性というのは、どんな穏やかな人格においても、狂気とか病気とでもいうべき激しいものであった。水みたい無色透明でサラサラとクセがなく、まったく欠点のない完璧にバランスのとれたニュートラルな人に出会ったことがない。もちろん代表もまちがいなく異常な部類です。

 そこを曖昧にして、人間は善的で美しい生き物だみたいに美化するのはかえってよくない、というのが代表の考え方。それではいつも期待が裏切られるし、好ましくない個性に対して寛容でいられなくなる。たしかに人間には美しいところもある。けれども、それを上回る暴力的な性質とエネルギーとを合わせ持った得体の知れない生き物なんである。それは、厳しい環境で生き延びるために備わった特質なので、表面的にどんなにすましたり隠したりしたって出てくるし、否定すべきものでもないのである。リピドーと呼ぶものなのかもしれない。

 そして、狂人と病人の集まりが社会。人類は社会を必要とする。それはたぶん交接の機会を増やすためだろう。いくらエネルギーが有り余ってたって単独では子孫を残せないからね。社会が成立するためには、お互いの狂気と病気を理解し、何かで狂気をコントロールしないといけない。それができなかったら社会は成り立たない。

 時々現われる岡潔みたいな天才というのは、そのエネルギーレベルが桁ちがいに大きくて、かつ、狂気側に寄っていて、コントロールしきれない人たちなんじゃないだろうか。社会の枠に収まるかどうかぎりぎりのところにいる人たち。あるいは、もう社会の枠からはみだしてしまった人たち。そういう人たちの行動が奇行に見えるんだと思う。

 代表が好きなもうひとりの奇人を紹介してみたい。福島が産んだ鬼才小室直樹。

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 1932年生まれ2010年没。経済学と法学の評論家ということになっているが、理学、心理学、哲学、宗教、歴史などにも卓越した見識を持ち、日本における社会学を飛躍的にステップアップさせた人である。小室直樹の本を代表はすすめない。本質的で面白すぎて、小説や批評本なんか馬鹿馬鹿しくて読めなくなる。人生がつまらなくなる。だから読まないほうがいい。

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 小室直樹は東京で生まれたが、5歳の時に、新聞記者だった父親が死去したため、母親の故郷の福島県会津若松市に転居した。会津高等学校に入学するが、そのときにしてすでに教師をしのぐ学力で、政治家になった渡部恒三とは同級生だった。しかし、家庭は昼食の弁当を持たせられないくらい貧しかった。昼休みになるときまって教室から消えたという。それを知った渡部恒三が、自分の下宿に頼んで、弁当を2個用意してもらうように手配してから昼食が食べられるようになった。妖怪渡部恒三にもそういうときがあった。

 会津高校から京都大学理学部数学科に入学。京大受験のときは渡部恒三の父親の友人から京都までの往復の旅費を援助してもらったらしいが、合格してうれしくなり、有り金を全部飲んでしまって帰りの交通費が無くなってしまった。やむなく京都から福島まで徒歩で帰ったという。京都から福島まではだいたい700kmある。700km歩くたいへんさよりも一時的な快楽の方を優先したということだろう。鬼才の頭はギャンブル脳に近いのかもしれない。

 京大では、まず位相幾何学を専攻するが、その後、理論経済学に興味を持ち、京大を卒業してから大阪大学大学院経済学研究科に進学する。大学院博士課程に進んだが中退。フルブライト留学生としてアメリカのミシガン大学大学院に留学する。そこからマサチューセッツ工科大学大学院に移り、さらに、ハーバード大学大学院に移って経済学を学ぶ。にもかかわらず、突然経済学を捨て社会学と政治学を理論化しようと決意。そのためには心理学を学ぶことが有益であると考え、同じハーバード大で心理学を学んだ。

 3年後に帰国して東京大学大学院法学政治学研究科に進学。東大のゼミナールを渡り歩き、社会人類学、計量政治学、法社会学を習得。さらに宗教について研究するなどして「社会科学における行動理論の展開」で城戸賞受賞。1972年には東京大学から「衆議院選挙区の特性分析」で法学博士の学位を取得して東京大学非常勤講師に就任した。橋爪大三郎、宮台真司、副島隆彦らは門下生である。

 しかし、清貧な学究生活を送っていた小室直樹は、慢性的に栄養失調状態でアルコール中毒だった。頭をクリアにするためにわざと空腹にして酒を飲んだという説もあるが、ついに自宅アパートの万年布団から起き上がれなくなってしまう。偶然門下生(宮台真司か?)が発見し、病院に入院。身体は回復したが、金がなくて入院費用が払えなかったため、友人知人らがカンパして費用を支払った。このときに回りに勧められて本を出版することになり『ソビエト帝国の崩壊』が刊行されたのを皮切りにベストセラーを連発。その11年後に、小室直樹が書いたとおりにソ連が崩壊した。ちなみに、イラク戦争のときは「イラクが正しく、アメリカが悪い」と発言していて、これもそのとおりになったのだった。

 小室直樹の奇行は数知れないが、有名なのはなんといってもテレビで出演者を足蹴にした事件だろう。1983年1月26日。ロッキード事件の被告田中角栄への求刑公判の日。テレビ朝日の生放送で、田中角栄の無罪を主張し小沢遼子ら反角栄側2人と討論を行った際、突然立ち上がってこぶしをふり上げ、「田中がこんなになったのは検察が悪いからだ。有能な政治家を消しさろうとする検事をぶっ殺してやりたい。田中を起訴した検察官は全員死刑だ!」とわめき、小沢遼子を足蹴にして退場させられた。

 翌日、同局は再び小室直樹を「モーニングショー」に生出演させた。さらに口調はヒートアップし、「政治家は賄賂を取ってもよいし、汚職をしてもよい。それで国民が豊かになればよい。政治家の道義と小市民的な道義はちがう。政治家に小市民的な道義を求めることは間違いだ。政治家は人を殺したってよい。黒田清隆は自分の奥さんを殺したって何でもなかった!」と叫んだのがそのまま放送された。

 当然干されてしまい、あまり仕事が入らなくなり、2006年秋に門下生の橋爪大三郎に招聘されて東京工業大学世界文明センター特任教授に着任して、それが終の仕事場となった。

 小室直樹は天才性とエネルギーのすべてを「真理の追究」と「門下生の指導」のためだけに使ったといえる。小室直樹にとって、生きることと真理の探究とは同じだった。しかし、世間一般の人には理解されず、社会人としては問題児だったというべきだろう。天才性と社会性は相反するのである。岡潔と同じ。「このままでは未来がダメになる」と憂いていたところも一緒。先が見える人の目には未来は悲観的に見えるものらしい。

 しかし、二人とも、二人を理解する人々によって、研究を続ける場と社会とつながる機会とが与えられ、その結果、人類は大きな成果を手にすることができたのである。

 代表は、研究機関というのは、特に理研というのは、岡潔や小室直樹のような研究者も受け入れる大きな度量をもった研究機関だとばかり思っていた。そうではなかったということか?

 代表も研究職の端くれなんだが、職場に「ニワトリになるな」という警句がある。誰がいったのかは知らない。ニワトリは、仲間がちょっとでも傷ついていると、その傷をみんなで突っついてついに殺してしまうらしい。「ニワトリになるな」というのは、仕事の失敗を責めつづければどんな人間でもダメになってしまうので、そういうことはやってはいけない、という戒めであって、人間はニワトリになっちゃいけないのである。

 今理研がやっていることはニワトリ以下である。1羽のニワトリの小さな傷を見つけ、みんなで突っついて殺す。突っつく方のニワトリに傷が見つかると、こんどはそっちを突っついて排除する。また傷のあるニワトリがでてくる。きりがない。ならばいっそのことニワトリなんていないほうがいいだろうということになり、最後は鶏小屋を解体してなくそうという話である。お笑いである。

 もうちょっとあるんだが、また次回ということにします。
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