川内村でロケした映画『家路』のこと

 明日から2日間川内村へ行ってきます。その間ブログは休みます。

 3月1日封切の松山ケンイチ主演の映画『家路』は川内村で撮影されたらしい。おととい、春日部に住んでいる中学の同級生のひとみちゃんから携帯にメールがあった。

 ひとみちゃんはそのことを名古屋のチエコちゃんから教えてもらったそうで、すぐに先生や同級生にメールしてくれたんだが、代表も知らなかったしみんなも知らなかったみたい。「へー!そんなことやってたの?」っていう反応だった。親父も撮影場所の近所なのに全然知らなかった。

『家路』【写真:家路の一コマ(ネット上予告編より借用)】
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監督:久保田直  脚本:青木研次
キャスト:松山ケンイチ/田中裕子/安藤サクラ/内野聖陽/山中崇/田中要次/光石研/石橋蓮司

物語:
東日本大震災の影響で故郷を失いバラバラになってしまった家族が、20年近く音信不通だった弟の帰郷をきっかけに、再び絆を深めていく姿をオール福島ロケで撮影した人間ドラマ。鬱々とした毎日を過ごす兄を内野聖陽、その弟を松山ケンイチが演じる。メガホンを握るのはドキュメンタリー作品で数々の受賞歴を持つ久保田直。

-以上、MovieWalkerより-

 久保田直監督はドキュメンタリーを得意とするだけあって自然な描写が好評みたいだ。上映館は少なく代表がいる埼玉だと大宮の〈MOVIXさいたま〉だけ。

 ロケはオープンにしないで進められたようだ。それはそうだろう。松山ケンイチが川内村に来ているなんてことを知ったらファンがつめかけてロケどころじゃなくなってしまう。

 じつは代表も松山ケンイチのファンだったりする。
 代表がはじめて松山ケンイチの存在を知ったのは映画『デスノート』でだった。準主役のLは松山ケンイチのハマリ役だった。新人なのに安定感があり、こっちが照れたりイライラしたりしないで見られる役者だと思った。そのあと『デトロイト・メタル・シティ』とか、彼が出演する映画のほとんどを観ているが、おしなべて松山ケンイチの存在感に比べて脚本が負けていた感じがする。松山ケンイチの才能が空回りしている印象だった。

【写真:家路の一コマ(ネット上予告編より借用)】
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 さて『家路』は、川内村と松山ケンイチの組み合わせなんて代表のためにある映画みたいなもんで特別な意識なしでは観られない。ついつい期待が高まってしまうが、その反面、観るのが怖い気持ちもある。

 代表はその昔、イギリスの作家フレデリック・フォーサイズが好きだった。フランスのシャルル・ド・ゴール大統領暗殺未遂事件を題材にした1970年の処女作『ジャッカルの日』はあまりにも有名で映画にもなった。

 第2作の『オデッサファイル』がまた良かった。ハンブルグのフリーのルポライター、ペーター・ミラーが、愛車ジャガーに乗ってヒットマンの狙いをかわしながらユダヤ人収容所のロシュマン所長をヨーロッパ中を舞台にして追うストーリーで、リアルなフレデリック・フォーサイズの描写によって、代表は行ったことも見たこともないヨーロッパの街をペーターと一緒に冒険した。

 物語の最後に、ジャガーに爆弾を仕掛けられて、しかしサスペンションが固いスポーツタイプだったために、クッションスプリングの起爆スイッチが作動せず、そのジャガーを奪って走り去ろうとしたヒットマンが強風で落ちた枝を踏んで爆発という場面では、実際に火薬の匂いがしたと感じたくらいだった。いやいや、まさに息もつかずに読んだあのときの興奮を思い出してしまう。そのあともフレデリック・フォーサイズの作品は発売を待ちかねるよいうにしてすべて読んだ。出版元の角川書店はずいぶん儲かっただろう。

 だが、1979年に書かれた『ハイディングプレイス』を読んで、代表のフォーサイズ熱は一気に冷めてしまった。この作品は、フォーサイズ初の日本を舞台にした小説で、角川書店ではなくフジテレビ出版が、フォーサイズ人気にあやかろうとして、フォーサイズを日本に呼んで書かせた企画ものだった(真偽は不明だが)。

 これがとんでもない駄作なのであった。内容が少ないのを活字を大きくしてごまかすという姑息なことをやった上げ底本のうえに、フジヤマ、スキヤキ、ゲイシャ、ニンジャのステレオタイプのどたばた劇だった。フォーサイズ作品に共通する質感立体感臨場感緊張感というものが微塵も感じられなかった。とくに、東北道でのカーチェイス場面のごときはあまりに嘘っぽくて、景色をよく知っているだけにガックリきた。

 「このレベルで『ジャッカルの日』とか『オデッサファイル』が書かれていたのか・・・」と思った瞬間に、あれほど輝いていたフォーサイズの世界がガラガラと音立ててくずれてしまった。あれからフォーサイズの本を一度も開いていない。

 もしフォーサイズが『ハイディングプレイス』を書かなかったら、たぶん今も熱烈なファンだっただろうと思う。お互いに夢中の恋人同士が、さり気ない仕草とかなんてことはないひと言が原因で急に冷めてしまうことがあるように、代表はフォーサイズのたったひとつの失敗作ですべてに幻滅してしまったのだった。安易な企画にのっかってつまらない作品を書くような作家に、たとえ一時期でも熱くなった自分がいやになった。フォーサイズを貶めたフジテレビ出版を恨んでいる。

【写真:家路の一コマ(ネット上予告編より借用)】
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 人は、頭の中でイメージを膨らませて非現実的世界をつくる。この想像世界は完璧がゆえに脆く、わずか一滴の雫で波立ち、崩壊してしまう。「大好き」という一方的な感情のために、なんら意味のない些細なことが見過ごせず、絶対化して自己破壊に導くことがあるのである。これを『フォ-サイズ現象』という(いっているのは代表だけだが・笑)。

 松山ケンイチも川内村も大好きなんだけど、それゆえ、『家路』に期待するあまりの、それほどでもなかったときの『フォ-サイズ現象』にびびっている。

【写真:家路の一コマ(ネット上予告編より借用)】
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 だれか観て教えてくんちゃい。
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