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義父ちゃんの叙勲祝いの日に思ったこと

 義父ちゃんが、7期28年の村議員時代の功績に対して旭日章をいただいた。5月だった。代表は高田島の大祭で会ったときに改まるでもなく日常の挨拶のようにお祝いを言った。義父ちゃんもそのことを自慢するでもなく淡々としていた。ただ、長年苦労をかけた義母ちゃんだけはどうしても一緒に皇居に連れて行きたい(そのとき義母ちゃんは術後だった)と話していて、その通りに二人は東京へ行った。

 そのときには受賞祝賀会の話などこれっぽっちもなくて、代表のところに祝賀会の案内が届いたのは、7月に入ってからだったから、急にやることが決まったものらしい。勲章は川内村がいただいたようなものだから、お披露目してお礼を言いたいという話だった。開催日は28日となっていた。

 役場からひとの駅の報告書を急かされていた代表は、この週末を使ってまとめようと思っていた。打ち合わせや連絡や清算をセッティングし、資料を整理してしまおうと計画していた。ついでに29日に役場に出してスッキリしてしまおうと目論んでいたのだったが、そうは行かなくなった。代表もだが川内村だってずいぶんお世話になっただろう。お互いに受賞祝賀会の方が大事だ。

 親父と軽トラで役場まで行き、9時半発のマイクロバスに乗った。

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 会場は、船引町の老舗辰巳屋さんだ。

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 大きなパーティができるところは限られる。妹とトッチ君の結婚式もここだった。あれはもう26,7年前になるのか。あのときは500人からの出席者が6、7時間延々と飲んでいた。トッチ君と妹が何回も衣装換えして壁から出てきたり天井から降りてきたりしていた。代表はまだ独身で、それからもずっと独身だった。みんな若かった。

 今回の出席者は150人あまり。勲章受賞のお祝いということで、親類縁者や支援者、それと政治関係行政関係の方々に絞られていた感じだ。

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 開会は11時。30分祝辞が続き、遠藤雄幸村長からもお祝いの言葉をいただいた。

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 広野町の双葉郡野球大会の開会式に出席してから駆け付けたとのこと。仕事の一部とは言え、何でも真面目に一生懸命に取り組む方だ。頭が下がる。それから乾杯。代表の場所は、近親者のテーブルにセットされるはずなんだが、どういうわけか総務課長や復興対策課長など役場の人たちの中に席があった。ついでに打合せ。1時半まで宴会が続いて、万歳三唱で締めて閉会。やっぱり万歳はいいね。

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 その後、川内村へ戻って義父ちゃんの家に集まって二次会。夕方まで飲んで、トッチ君に家まで送ってもらった。

 車の中でトッチ君は言った。

「あんちゃんの言っていたことが最近ようやくわがった。川内を離れで初めで川内の良さが理解でぎる、って。半年や一年では気がつかねげんちょも、二年過ぎっとわがる。川内はほんとにいいどごだ。」

「な!んだべ。」と代表は得意になって言った。川内村の素晴らしさは、川内村を出てはじめてわかる。みんなようやくそのことに気づき始めているみたいだ。

 川内村の記憶が、代表たちの体の奥、細胞ひとつひとつの中に仕舞われている。遠く離れれば離れるほど記憶は輝きを増し、懐かしさに心が疼き、時間が経てば経つほどほど郷愁が耐え難くなるもんだ。忘れることも消すこともできない。

 半日酒を飲みつづけて、さすがに酩酊していた。酔った頭で考えた。何度も言うように、だたしかに震災は不幸な出来事だった。だけれども、無駄にはなっていない。小さなことも大きな意味を持っている。震災を経験したから言えることがある。川内村が蘇り、若い人たちであふれるイメージがわいてきた。

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