2016年01月の記事 (1/1)

エアコン新調

 北関東以北は大雪だったようで気の毒だが、川越は雪が降らなかったのでほっとした。ところで代表の家は冷房だけでなく暖房もエアコン1台だけで済ませている。ストーブや電熱器というのはない。夏は暑いが冬は川内村よりも格段に寒さが緩いので、そんなもんでもなんとか冬が越せるのである。

 ところが、今年の冬は暖冬にもかかわらず例年より寒い、と家族がいう。代表は薄着のためにいつも寒いと感じているからそんなに差があるとは思っていなかったのだが。エアコンの設定温度を高くしても暖まらない、と家族がいう。設定温度を見ると28℃になっている。それにもかかわらず吹出し口でさえその温度から程遠い。あれだ。もう10年も使いっぱなし状態だから冷媒が抜けてしまったのかもしれない。というわけで、思い切って新しいエアコンを買うことにした。

 代表ん家のリビングは12畳。そこに6畳の和室と変則5畳のキッチンがくっついているもんで見かけ上広いために大容量にしないと冷暖房が効かない。ところが、大きなエアコンって値段が高いんだよ。古いエアコンだってただ外して捨てるわけにもいかず、外すにも処分するにも費用が発生する。世の中何やっても、それこそ息するにも死んでも金がかかるようになっている。

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 愚痴ってもどうにもならないが、愚痴ついでに息子の部屋のエアコンも新しいのにしてやることにしたため巨額の出費になった。

 しかし、技術は進歩しているねー。今度のエアコンは設定温度は22℃なのに充分暖かい。床まで暖かい。音も静かだし。いつも日向とか冷蔵庫の上とかに避難していたネコがエアコンの下に集まるようになった。

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 ネコにもわかる新技術。
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また雪?

 この前の雪で東洋大学のグランドの松の枝が折れた。けっこう降ったからねー。

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 明日からまた雪が降るらしい。今度はもっと降るらしい。困った。

自由に行きたい

 代表がこの道を通るようになってからもう25年以上経つが、いつからか定かでないんだが、ほぼ毎回同じ場所ですれ違う人がいる。歳は70前後に見えるが、朝6時頃に非常な早足で川越市内方面に向かってくる。大きく膨らんだゴミ袋をたくさん自転車にぶら下げて。

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 何のためにどこから来てどこに行くのかわからない。時々、夕方5時過ぎに同じあたりを反対方向から歩いてくるのを見かけることがあるので、夕方川越市内方面から帰るみたいである。そのときの姿もまったく同じで、時々道に落ちている紙を拾ってゴミ袋に入れたのを見たことがあるから、ゴミを拾い集めているようだ。

 一体ゴミを集めてどうするのか。自転車は自分のものなのか。どこで寝起きしているのか。家族はあるのか。ほんとうに貧しいのか。風呂に入っているか。毎日何を食べているか。正気なのか。一体何があってこうしているのか。かわいそうだとか哀れだとか・・・など々いろいろ想像できる。

 代表はひとりの青年を思い出す。また昔話になるが、代表がいわき市で学生時代を過ごしていた頃、平駅周辺をボロをまとった汚れ姿でくず拾いのリヤカーを引く20代後半の男性がいた。地元ではけっこうな有名人だった。東京大学を中退してくず拾いをしている変人ということで。代表も何度か見かけたが、その人の姿とかぶるのである。

 あのとき「なさけない男だなー」と思った。今自転車にゴミ袋を下げた老人を見ると、「うらやましいなー」という気持ちになる。この歳になるとわかるが、こういう生き方ってよっぽど自分に自信がないとできないし、こういうことを続けられる健康な体と時間と、こういう生き方が許される自由がないとできない。代表の親父の生き方にも通じるものがある。贅沢な生き方なのだ。

 逆説的にいうなら、そんだけあれば他にやろうと思えばたいていのことはやれる。だから自転車の老人も平駅前でリヤカーを引いていた青年も、現実逃避したのではなく、あらゆる選択肢の中からその生き方を選んだにちがいないと思う。毎日刺激的で楽しく充実していて後悔することもないんだろうなと思う。

 もしかしたら、何年後かに自転車にゴミ袋を下げてこの道を歩いているのは代表かもしれない。

東京国際キルトフェスティバル報告

 23日(土)の朝10時に、東京ドームのちょうど裏側の東京国際キルトフェスティバル会場入り口で同級生と待ち合わせした。今回は代表を入れて6人。50年も前に東北の山の中の小学校中学校で一緒に過ごしたというだけの同級生が、あっちこっちから都会の人波の中を泳いで来て集まるってんだから不思議な話だよね。代表はこうして同級生に会うたびいつもその神秘性に感動する。

 すぐにA-14ブースを訪ねてパッチワークハギレの中島幸子先生に挨拶。お元気でした。先生いつも誘っていただいてありがとうございます。

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 代表の同級生は、先生に一年以上もかけて製作していただいた手提げバッグを持参し逆自慢(笑)。先生も嬉しそうにしておられた。誠実な作り手が心をこめて製作した道具を所有するというのはかなり高次の喜びだと思うが、そのことを分かちあえる理解者があるというのもまた喜びなのである。

 代表が東京国際キルトフェスティバルを見るようになったきっかけは中島幸子先生に招待していただいたことだったが、あれからもう6、7年になるのか。その前に中島幸子先生に出会ったのは、先生がひとの駅のオープン前にもかかわらず作品展を開催されたときだったが、先生とひとの駅を結びつけてくれたのは川井弘子さんだった。二人は職美展に所属していた。代表と同級生たちは職美展も楽しむようになった。まったく不思議な話だ。いろいろな事、いろいろな人が自分の意志とは関係なくつながる。

 さあ、いよいよ作品鑑賞の時間。
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ここが畑

 代表のブログはFC2で、管理ページのURLをお気に入りに登録してブログを書くときにすぐに入れるようにしているんだが、昨日突然お気に入りから消えてしまった。しょうがないのでFC2のホームページから入り直そうとしたが、入口がない!?あれれ??そんなはずはない!と思って何度も探したが、酔っていたのかな~、見つからない。今日、あちこちクリックしていたら見つかった。わかりにくいよFC2。そろそろ替え時かも。

 さて、本日は畑を見に行った。こーんなに広い。

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 代表は手前の70坪ほどを使わせてもらうことにした。何を作ろうか思案中だが、家内からは枝豆のリクエストがあった。ビールのツマミだ。スイカとか苺はハクビシンや狸に食べられてしまうので難しいらしい。作物の前にまずは土作りからだね。

第15回 東京国際キルトフェスティバル

 21日から東京ドームで『第15回 東京国際キルトフェスティバル』が始まった。今年の特別企画は『ウィリアム・モリス地上の楽園』と称したコレクション展と、キルト作家の斉藤謠子さんとそのグループによる『ピーターラビットの世界』作品展だが、一般応募作品も負けていないだろう。代表は明日、関東在住の川内中学校の同級生5人と一緒に行って、鑑賞した後東京ドームの近くで一杯やる予定。

 はっきりいってキルトフェスティバルを見るのは疲れる。ただ疲れるのではない。頭も体も芯の芯まで疲れる。どうしてそんなに疲れるんだろうか。人が多いとか歩き続けになるとかということもあるだろうが、そんなことだけが理由なのではない。作品に圧倒されるからだ。

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 作品に注入された膨大なエネルギー。ひと針ひと針にこめられた人生観や経験や宿命というような様々なものが塊となって迫ってくるからである。ひとつやふたつだったら受け止めることができるだろう。しかし、何千何万という作品群なものでついには気力体力を使い果たしてしまう。

 だったらひとつふたつの作品だけ見るとか途中で退場するとかすればいい話なのだが、もったいなくてそれもできないのである。何千の作品に同じものがひとつもないという人間の創造性に驚き、内部から湧き出だす不思議な引力でもって次へ次へと導かれてしまうのである。結局疲労困憊して動けなくなるまで見ることになる。作家と同じ気力体力がないとキルト作品は鑑賞できない。

 では、倒れるまで見てきます。

実は・・・

 いやー、恥ずかしいんだが、実は代表はヤクルトスワローズのマスコットつば九郎の隠れファンなんだよ。

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 人間でもつば九郎ほど気の利いたコメントを発せられる人はいないと思う。野球のことをよく知っていて、スピード感があり、ユーモアとウィットに富んでいて、なおかつ優しくそこはかとなく哀しい。味がある。

 年棒交渉もようやく決着したみたいだ。山田哲人選手と同じ2億2千万円を要求したものの受け入れられず、2万2千円とヤクルト飲み放題でサインしたとのこと。つば九郎は悔しいだろうけど、代表はうれしい。

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 これからも毎日ヤクルトを飲んでつば九郎を応援したい。

新酒

 川内村で白濁液をもらった。新酒だ。

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 白濁液の素晴らしい味わいについてはここで何度も書いた。今度の新酒の味もまた素晴らしい。作った人の顔を思い浮かべながら飲む。それがまたいい味わいになる。

本日ブログ休みます

 次女の学校のレポート作成応援のためブログ休みます。

                                      代表

畑を耕す

 暖冬だなんて油断してたら、降りましたねー。川越で10センチ積もりました。

 ところで、団地の植栽ボランティアのひとりから「畑をやってみないか」と誘われた。300坪あるそうだ。

 この辺りではほとんどタダみたいな安い使用料で貸してもらえるせいぜい5坪とか10坪くらいの畑がたくさんあるんだが、今回は地主が300坪まとめて信用できる人に無料で提供してくれるというものらしい。

 でも、それだけ広いとひとりで手入れするのはたいへんなので、植栽ボランティアのひとりが借りて、その管理と指導の下に4,5人で分けて使うということになって代表にも声がかかった。ひとり当たり70坪前後だ。植栽ボランティアの働きぶりが評価されたのかもしれない。

 代表は20年以上前に5坪の畑を借りてトウモロコシや胡瓜などを作ったことがあった。面白かったが、農作業ができるのは土日の休みしかないので、一週間はほったらかしになってしまう。夏場はたった一週間で雑草だらけになってしまった。土日に用事があったりして二週間手入れができなかったらもう畑ではなくなっていた。そんな状態では隣の畑の迷惑になると考えて一シーズンだけで返してしまった。

 5坪でさえそうだったもんで70坪なんて無理だからと一度断ったんだが、再び誘われて仲間に入れてもらうことに決めた。やっぱり代表のどこかに「土いじりしたい」という気持ちがあるんだね。今は若いときみたいに仕事ばっかりの毎日でもないし、来期は植栽ボランティアは続けるけども団地の役員の仕事はやめることにしたから以前よりは時間が自由になるだろうし。

 そういうわけで春になったら代表は畑を耕します。

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 そして、作った野菜をみんなに送り付けて困らせてやる。

昼酒

 酒は飲むが好きという程ではないので昼間から飲むことは滅多にない。あっても年に2,3回。宴会とか、そういう場合だ。今日は団地の植栽ボランティアの懇親会があったため昼酒をした。

 午前中は団地の中の枯れ木の伐採作業を行った。

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 植栽ボランティアは約20人いるんだが、申告した年齢の平均は53歳だが、実際は70歳だ。代表が一番若く60歳。最高齢が75歳で3人いる。もしも団地の管理組合理事として参加している代表が来期抜けたとすると、平均は1つ増えて71歳になる。高齢化はどこの地域も同じだ。ちなみに、この団地に青年団という組織はない。青年は学校を卒業すると団地から出て行ってしまうためほとんどいない。居場所が確保されないのだね。都会の団地は3代揃って暮らすことは難しい子育てと老後の生活のためだけの歪な空間なのだ。

 さて、昼から3時まで事務所に集合して懇親会。夕方6時からは会議があったので酒の方は抑えたつもりだったんだが、どんどん注がれてすっかりできあがってしまい、酔ったまま会議に出席しなければならなかった。赤い顔で酒臭い息を吐き顰蹙をかった。

マンスールさん ありがとう

 紹介されてたねー、花門のおまかせサラダが。これで400円。3キログラムを超えていたというのは初めて知った。

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 暗いニュースが多い中で清涼剤のような爽やかな話題だった。

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 マンスールさんが日本にいてくれてよかったよ。ありがとう!日本人を代表してお礼を言います。

マンスールさんTV出演

 明日(15日)の夕方、マンスールさんがテレビ朝日に出演するそうです。

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 面白いから見てください、とのことです。代表も見ます。

川内村レポート その4(終わり)

 横溝森子さんに会ってきた。何回も「川内村にいつ来るの?」って電話があって、行ってもなかなか訪ねる時間が無くその度に言い訳してきたんだが、ようやく会えた。こんなたいへんなことがあったことは知らなかった。

 横溝森子さんからあずかった、今回のは「手記」です。

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『 癌
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川内村レポート その3

 今川内村では多くの施設の建設ラッシュだ。利用者がいるのか心配になるが、中学校の裏には温水プール。同級生のしげちゃん家の真ん前にはショッピングセンター。そして、代表の家のすぐ近くには特別養護老人ホームができた。

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 特別養護老人ホームができたことで重度の要介護老人を抱える家庭、負担をかけることを申し訳ないと思っているご本人にとってはありがたいだろう。代表の昼飯仲間の友だちは60歳の定年で全財産を整理して老人ホームに入ったらしいが、快適だと話しているらしいが、これからはそういうライフスタイルが流行るのかもしれない。


 深沢七郎の小説『楢山節考』を読んだのは10代後半だったが、代表の死生観に大きな影響を受けた。というか、『楢山節考』で代表の死生観ができたといっていい。

 小説の内容は、おりんという名の60歳を迎えようとしている女が姥捨て山に捨てられる話で、深沢七郎自身はこの作品でおりんの美しい生き方を描きたかったとしていたが、社会側は高齢者をどう考えるかの社会的な問題提起として受け止めた。

 深沢七郎が何か書いたり発言したりするたびに社会的問題提起やトラブルの原因となってしまう関係というのは深沢七郎が73歳で死ぬまで続くのだが、大部分は深沢七郎側に責任があった。深沢七郎が社会のことなどにまったく配慮しない、今でいう超自己チューの自由人だったからだ。例えば『楢山節考』という題名も『楢山節』としていたら深沢七郎が負う社会性というのは多少は軽くなったと思うが、そういう作家としての感性は持っていなかった。逆にそのズレの部分というのが、他の職業作家にはない深沢七郎の魅力だった。

 とにかく、年寄りは次世代の若者を生かすために死ぬものなんだという、いわば種族保存の原理原則は、あれからずーっと代表の頭から離れたことがない。

 先日、横浜の介護付有料老人ホームで、入居者の93歳の夫が同じ93歳の妻殺したなんていうニュースあったが、すぐ『楢山節考』と結びついて、現代版の楢山節かなー、なんて思えたりした。姥捨て山へ連れて行く年齢の60歳が93歳で、おりんを背負ったのが孝行息子ではなくて夫だったというちがいはあるけども、老人介護施設のような救済システムが現代版姥捨て山だとしたら皮肉な話だ。

 それにしても人間はいくつまで、また、どういう状態で生きるのが幸せなのだろうね。自然界なら弱った順に否応無く倒れていくしかないんだが、立てないくらいに弱っても生かせるだけの技術を人間は持った。幸せの形というものがとても複雑になってしまった感じがする。

川内村レポート その2

 書いたままで公開するのを忘れていた。

 川内村でのもうひとつの用事は義父に会いに行くことだった。ひとの駅撤収の顛末をまだきちんと報告していなかった。義父の家はひとの駅のすぐ下で、代表の家からは車で15分足らずの距離だから行こうと思えばすぐに行けるんだが、タイミングが悪かったりして今になってしまった。

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 「やめることになってかえって良かったんじゃないか」と義父は言った。ひとの駅の話だが、そこには代表と義父にしかわからない様々な意味が含まれる。

 代表には、ひとの駅かわうちのように他に真似のできない交流拠点がこの地域に必要なんだという強い想いがあった。また、続ければそれなりに注目を集めるものにできるという自信もあったし、続けば続くほど存在価値が増すはずでもあった。

 が、心配もあった。こういうことは建物があればいいというものではない。人が重要なのである。代表がいて夢や希望を語っても、その後代表を引き継ぐ馬鹿者が続くという保証はなかった。建物の老朽化に対しては修繕していけばいいけれども、人の問題はそうはいかない。ということは、いずれは廃れる運命にあったのかもしれない。

 義父は「報われないもんだ。」とも言った。義父は村議会議員として地域の道を整備したり川内村の観光開発に尽力してずいぶん成果を上げたが、お礼の言葉をもらえた記憶がないという。「そういうもんだべ」と。誰かのためになんていうのは嘘で、全部自分のためにしたこと。自分の想いに従ってやるだけやって自分の考えで退くというのが最高っちゅうものだ、と。

 そうだよなー。ひとの駅では代表が一番苦労もして一番楽しんだ。そして、自分の手でけじめを付けられた。最高だったというべきだろう。

 「ところで義父ちゃん、」代表は気になっていることを聞いた。「なんで息子を村議に立候補させだんだい?」

 政治家というものに裏切られたり苦労させられた人は少なくないだろう。選挙前だけ調子のいいことを言って、当選したら自分の利害しか考えない政治家がほとんどだ。代表の家もそうだし、代表の義弟、すなわち義父ちゃんの息子も政治家が嫌いで、親の地盤を継ぐようなことは絶対にないと断言していたのだったが、急に先の村議会議員選挙に立候補して、代表の妹も「政治家にはならないと結婚するときに約束したのに!離婚だ!」というような話になって代表も心配したわけだ。義父義母の家系は政治家が多いから無理矢理義父がそうさせたんだろうと思った。本人に直接聞けばいい話なんだが、たぶんふてくされていて話したがらないだろうと想像して義父に確認したのだった。

 ところが、意外や意外本人の意思だったらしい。「え”ー!?」。義父は選挙のことは一言も口にしなかったんだと。義母の方は反対したらしい。血と言って片付けることもできるが、あんだけ嫌っていた政治家に、しかも地盤を失ってかなり不利な状況での決意にはよほどのことがあったにちがいない。そこは義父義母も知らないみたいだった。本人に今度会ったときに聞かないといけないが、新事実として、離婚だとメールしてきた妹も一生懸命になって挨拶回りなんかして票集めに動いたらしい。これも開き直ると強さを発揮する血と言えなくもないが、「え”ー!?」だった。二人は自分の想いに従ったってことかもしれないが、すでに政治家的だと思った。

川内村レポート その1

 川内村でやらなければならなかったことのひとつは、親父が乗り出した軽自動車ホンダライフの名義を代表から親父に変更すること。代表の名義のままでも税金の請求が代表に届くくらいで支障はないのだが、それだと川越に納めることになる。親父が川内村で乗る以上は川内村に納税すべきだろう。それから、親父が早く自分の名義にしたいと言って代表を急かした。代表名義のままではいつまでも「自分のクルマ」という実感がしないからだろうと思う。

 予定では年末にやってしまうつもりだったが、代表が休みに入った12月最後の週の平日で役所が開いているのが28日だけで、しかも仕事納めで弊店休業状態だとわかったため、急遽年が明けてからに変更したのだった。

 1月4日。仕事始めの日の朝。まず代表と親父は川内村役場に行き、親父の住民票を発行してもらい、廃車した軽バンの税金の請求が来ないよう手続きをした。

 その足で湯本の軽自動車登録・検査協会に向かった。常磐道を使って約1時間。湯本の中部工業団地にある軽自動車登録・検査協会に到着。ガラガラに空いていて順番待ちも無く、35円で書類を買って記入し申請したらすぐにいわきナンバーを発行してもらえた。

 嬉しそうに新しいナンバーを装着する親父。

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 代表もひとつ肩の荷が降りた。

 帰り道も常磐道。親父には寿司でも食ってもらおうと思っていたのだが、珍しく他のものにしたいということだったので、四倉SAに寄って昼食をとることにした。親父はカツ丼を選んだ。代表もカツ丼にした。

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 ここは同じ料金でご飯大盛りにしてくれるんだが、標準のままでも盛りが良くて、代表でも充分満腹になる。親父は「オレには多いなー」と言いながらペロッと平らげた。たいしたもんだ。

川内村レポート プロローグ

 今日は用事のため有明へ出かけた。

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 家に帰って、川内村レポートを書こうとしたら、次女のレポートの手伝いをさせられた。そういうわけで、川内村レポートは明日以降にします。

眠り病に罹る

 川内村に行くと決めた1月2日から激しい眠気のため動けなくなった。

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 疲れていたんだと思う。微熱があって体の節々が少し痛んだ。腹までゴロゴロしていた。ここぞとばかりに「風邪引いたんでしょ!」と家内に馬鹿にされたが、喉は痛くなかったし鼻水も出ない。風邪ではなかった。

 思い返せば11月後半あたりからちょっとその兆候があった。いつも体のどこかに寒気を感じていて、背中と腰周りがやたら冷え、首回りやふくらはぎにも凝りが出て痛かった。

 かといって体調が悪かったわけでもなく、ご飯も酒も美味しいしよく眠れるのであまり気にしなかった。寒気については「少し寒い日なんだろう」くらいに考えていた。いつもTシャツ一枚で、寒い日でもその上に薄手のセーターを着るくらいなので。要は寒さに鈍感なのだ。

 でも、やっぱり疲れが出たんだろうなぁ。年末31日に、半年振りにゴルフの練習に行き、300球ばかり気持ち良く打ったんだが、あのときの疲労で限界点を越えた感じがする。腹を壊したのはたぶん油のせいだと思う。11月から12月にかけて何度かこってり系ラーメンを食べたので断続的にゴロゴロしていた。代表は健啖で何でも美味しく食べるが、油だけはちょっと弱い。

 それでも用事があったため川内村に行かないといけなくて、翌3日の朝8時過ぎに川越を出ることは出た。しかし、道中ずーっと眠かった。川内村まであと少しという所でどうにも我慢ならなくて、常磐道の楢葉SAでKトラを止め20分くらい寝た。それでずいぶんすっきりした。疼きも無くなり「あー復したー」という感じがした。事実、あれから調子が戻った。

 丈夫だという自信はあったが代表ももうけっこうな年寄りだ。これからは自重しないといけないと思った。

あけましておめでとうございます

 あーゆっくりした。今回はやりたいことに没頭できた。手帳の中味は今年用に入れ替えたし。

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 毎日毎日河岸を変えて本を読んだり音楽を聴いたり。若い頃の音楽はやっぱり良いのが多かった。

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 まだ3日休めるので、明日からちょっくら川内村に行って来ようと思います。