2013年01月の記事 (1/1)

カメラ買う

 鬼降ろしの生贄になったと思われる代表の大事なカメラのパナソニックLUMIX LX3は、どうもいちばん大事な部分のセンサー(画像を受ける部分)が壊れたみたいだ。修理には2万円くらいかかるらしい。

 2万円あれば同じカメラの中古が買えてお釣りがくる。修理するよりも新しく買った方が安上がりみたいなのでそうすることに決めた。LX3か、その新しいモデルのLX5か、または最新モデルのLX7にするか、散々悩んで結局中古のLX5にした。カメラのキタムラで21,980円也。この性能でこの価格は安い。

 写真左が壊れたLX3で、右が新しく手に入れたLX5。同じモデルだから見た目はほとんど変わらない。

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 性能はすごく進歩している。機能が増えて動作も速くなって、しかも軽くもなっている。日本メーカーの製品の進歩は速いね。
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東京芸大であった怖い話

 また東京芸大の卒展・修了展の話題です。

 芸大の修復科というところは、色が褪せたり剥離したりした絵画や、あるいは壊れたり欠けたりした文化財を修復するために伝統的な技術をマスターするところみたいだ。自分オリジナルの新しい表現や世界を追求する他の科と卒展・修了展の作品も雰囲気もずいぶん違う。

 伝統的な技能に加えて、3次元CADを使った古美術品の模写や修復の精度を上げる取組がされていたり、絵具や素材の分析に最新の機器が使われていたりするので、そういうことを仕事にしている代表はアプローチの観点の発想やその緻密さ、レベルの高さには感心する。芸大生の才能と努力のすごいところだ。誰が見ても感動すると思う。修復科はあらゆる手法を駆使して一流の贋作作家を育てる学科と言えるかもしれない。

 一方、その他の学科はまったく逆のようで、油絵にしても日本画がにしても漆芸にしても陶芸にしても建築にしても映像表現にしても、自分オリジナルの新しい表現や世界を追求することが命題になっているみたいだ。

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 こちら専攻の学生さんだって模写をさせたら超一流なんだが、さらに積み上げて自分だけしかできない、あるいはやらない何かを産み出して、さらに芸術の域まで高めている。

 こうやって文章で書くのは簡単だが、新しい表現や世界観がそんなに容易に創造できるわけはない。だから芸大生は苦悩し、その苦悩の痕跡がクッキリと作品に残る。毎年の卒展・修了展の雰囲気が重苦しくなるのはそのためだ。中にはやり切れずに破綻してしまったと思われる、気の毒な作品もあったりする。だが、それがまたいい。それらぜんぶを含めて、東京芸大の卒展・修了展の魅力になっている。

 昨年の卒展・修了展は、震災の年ということがあってショックを消化しきれていない作品が多かった気がした。今年は一転、スカッと明快なコンセプトの傑作が多かった。どれもこれも作者の情熱が感じられる素晴らしい作品ばかり。一見ふざけた作品のように見えるものも、緻密な構想と高い技術で作りこまれていて、見るほどに深さを感じさせられた。代表が教授だったら全員合格点だ。はやく卒業して社会で活躍してもらって、世の中を楽しく美しくデザインしてほしいと思った。彼らならできる。

 ところで、代表が今年もっとも笑えたのは、先端芸術表現専攻修士の豊永純子さんの『鬼来法解禁~新屋敷魁の鬼降ろし~』という作品だった。
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カメラ壊れる

 代表がいつも使っているカメラはコンパクトデジカメで、パナソニックのLUMIX LX3っていうモデルだ。買ったのはたしか2009年だったはずなので、もう3,4年使っている。

 画素数は1000万あって充分だし、大きさや持ったときのバランスが絶妙だし、何よりパナソニックのコンデジはオートフォーカス性がバッチリだから、ピントが外れての写し損じというのがほとんどない。とても気に入っていた。ていねいに扱って大事に使っていたのだがついに壊れてしまった。

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 電源は入るのだが、液晶が真黒で、シャッターを押すとそのまま真黒い写真になってしまう。修理するよりも性能が良くなった新しいモデルを買った方がコストパフォーマンスは良いんだろうけれども・・・。悩み中。

 ちなみに、この写真はもう一台のカメラ、同じくパナソニックのLUMIX GX1で撮影したもの。古い写真風にレトロモードで撮ってみました。こんなのが簡単に撮れるし動画だってビデオカメラ並みに撮れる。最近のデジカメはほんとうに便利になった。

ホントに素晴らしいキルトフェスティバル

 おとといにつづいて昨日は東京ドームに行ってキルトフェスティバルを見てきた。そこまでは良かったのだが、帰りに後楽園の駅前で一杯やって、池袋まで行って東武東上線に乗ったらタイミング悪く人身事故で運転見合わせ。しかたなく一度池袋駅をでて千鳥足でビッグカメラあたりをうろついた。8時過ぎに動きはじめたけれどもノロノロ運転で、家にたどりついたときにはすっかり疲れてしまい、大事な仕事も控えていたので寝てしまった。粘りがなくなった。代表も年だ(笑)。

 いや、それにしてもキルトフェスティバルは素晴らしい。毎年毎年どんどん素晴らしさが増していく。技術的なところも芸術的なところもレベルアップしていると思うけれども、なんというか、精神性が素晴らしいと思う。作家さんも作品も素晴らしいけれども、感動をもとめて見に来ている人たちがまた素晴らしい。

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 この素晴らしさを独り占めするのは申し訳ないと思っていた代表は、今年は同級生を誘って行った。
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代表がコミックの主役に!?

 代表の活躍が認められ、コミックの主役に抜擢されることになった。これはその1シーン。

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 というのは嘘。今上野の東京芸大で開催されている卒展・修了展の作品のひとつ。しかけは、こんな感じに・・・
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古い写真

 三月が近づくたびにまた何かあるんじゃないかと思って、身辺整理なんぞしたくなってくる。写真も整理しておかないといけないなと思って、埃をかぶっている古いアルバムを引っ張り出してめくったら、子どもの頃の写真がたくさん出てきた。

 この写真は代表が小学校へ入るか入らないかくらいのときのだから、もう50も年前になるのか。肩を組んでいる右側が代表で、左はふたつ年下の弟。右の写真はさらにみっつ年下の弟だ。可愛いね。

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 この道路は国道399号線。まだこんなに細い道だったんだね。季節は今ごろだろうか。後ろ側が都路村方面で、朝夕川内村役場に勤めていた都路村のおじさんが馬に乗って通っていた。ウンがいいときには、落としたばかりのほかほかの馬糞を、棒でつついて遊べたりした。

 左側の家は代表の祖母の実家で旅館だった。博労や行商人や労働者が主なお客で、リヤカーに豚を縛りつけて解体して食っていたりした。よく酔っぱらって喧嘩をしていた。

 一枚の写真から際限なくいろいろなことが思い出される。面白くて懐かしくて整理どころの話ではなくなった。

川内で おわり

 また昨日からのつづきだけど、だんだん重苦しくなってきた?(笑)。

「わがった。その方向で行ぐごどにすっか。」の、その方向と言うのは、双方の中間をとって、2013年度の可能な時期に部分的に再開しようということだ。

「だが代表・・・」に続いて代表が課長に教えてもらったのは、川内村が臨終をむかえるかどうかの瀬戸際、瀕死の村にカンフル剤を打ち続けるような極限状態の連続だったというような、震災から今日までの本当の姿だった。外にいて見ているだけの代表たちが知り得たことというのは、ほんの表面の、さらにその一部分だけだったとはじめてわかった。

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 たぶんそれらのことは、あと何十年か後に、川内村史の続編に記されることになるだろう。しかし、今はまだその段階ではない。なぜなら、村民も課長もまだ戦場にいる。

 まあ、そういうことで、とにかくひとの駅は部分的にでも再開できるように進めることにし、代表は川内村役場と村民のみなさんにはずかしくないように一層頑張ろうと思ったのだった。

 復興課長との打合せを終えて、その足でひとの駅へ。
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川内村で その3

 昨日よりつづき

 つまり、当面は学校のメンテナンスを続けながら再開時期を見極めたいというひとの駅側の方針に対して、なにをおいても再開ありきで、再開できない場合には他の復興事業で使う、というのが役場側の意向だったわけだ。

 ひとの駅はもとはといえば川内村を活性化させるのが目的だから、それが役場の意向ならば、学校を使わずに置くよりは他の復興事業に使う方が理にかなっているので学校をお返しするということで関係者間で意思統一し、調整と判断を課長に一任した。それが作年末のこと。

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 代表だって再開したくないわけじゃない。この2年近い間、ひとの駅への期待を感じながら、川内村や周辺の状況を一生懸命に観察し、一体いつになったらオープンできるのか、オープンするとどんな良いことがあるのか、そのとき何が問題なのか、自分の判断は冷静だろうかと悩みながら再開時期を模索してきたわけだ。

 しかし、今の段階では、マイナス材料があまりにも多すぎる。ちょっと数えてみたって、原発事故によるイメージダウンをひきずる上に、未だ第1原発の安全性が完全には保証されていない。斎藤さん夫妻をはじめとして、ひとの駅スタッフのほとんどが避難中。ひとの駅スタッフや利用者の多くの方が住んでいた海岸地域が未だに帰省もままならない状況。山麓線と常磐道は不通のまま。山の幸直売所やカフェ・ダノニー、川魚(せんぎょ)など観光の目玉だった個人施設の再開の目途は立たず。かわうちの湯のリニューアル再開、いわなの郷の一般向け再開もまだ先とのこと。農産物や山菜生産数少なく、かつ線量を測ってからでないと提供できない面倒さなど、きりがない。

 加えて、役場本体の過負荷だ。除染と対外の対応で目一杯の状態で、内側に目が届いていない。メールをしても返信はなく、電話しても不在ばかり。かような状況下で再開して役場の無理に合わせていたら自分たちがパンクしてしまう。

 それに比べてプラスの材料といえば、これまで協力してくれた方たちが「ひとの駅が再開した暁にはいつでも協力するぞ」と言ってくれていることくらいだ。だが、例えば作家さんに苦労して作品を運んで展示してもらったとしても、視察や取材関係者のほかに来館する人も見込めないのではとても申し訳ないし長く続きけることができない。第一復興にほとんど効果がない。そのへんのところを改めて課長に伝えて、復興事業に対する代表の個人的な考えも聞いてもらった。

 代表の話を聞き終わってから、課長は静かに話し出した。
「わがった。その方向で行ぐごどにすっか。だが代表・・・」

 また明日に続く

川内村で その2

 昨日よりつづき

 課長がイメージする復興計画に共感できるところもあった。しかし、ちょっと心配になるところもあった。

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 最初に復興ありきというのは賛成だが、代表にはその規模が大きすぎるように思われた。震災前の人口3000人に対して、5000人規模前提の村づくりとなっている。震災前までは村民の約500人が東電関係の仕事に携わっていたらしいが、少なくともその500人分の産業と、プラス2000人分が生活できる産業を用意して新しい村をつくって運営する算段だ。要は、震災の反動を利用して川内村がいちばん元気だった時代の再現にトライするということだろう。しかし、確実に人口が増えるという保証はない。それに、行く行く補助は切られる。ほんとうにできるのだろうか。将来それらが負担にならないだろうか。気が小さい代表は、ちょっとビビった。

 また、時間的なスパンが性急にすぎるように感じた。震災から半年以内だったら興奮状態のまま突っ走れたかもしれない。けれども、今では政府やメディアとの信用関係が崩れてしまい、被災者は傷つき疑心暗鬼になっている。そのリカバーを後回しにして、責任が個人の都合や性質の問題として等閑にされたまま、復興事業だけが目的になってしまったようにも見えて、ちょっと残念な気がした。村の人たちの不安が代表にもわかる。

 じつは、ひとの駅再開に対する役場とひとの駅関係者との考え方のちがいも、ここのところに原因があるようなのだった。

 また明日につづく

川内村で その1

 昨日はいろいろありましてブログをさぼってしまいました。失礼しました。

 今回川内村へ行った目的は三つあった。
ひとつは、石井教育長さんに会うこと。もうひとつは、来年度ひとの駅をどうするかについて役場の復興課長と話し合うこと。そして、消防署の立合い検査と。

 まず、18日午前。教育委員会に教育長さんを訪ねた。

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 あとで軽トラの給油にガソリンスタンドに行ったときにダノニーの社長さんに聞いたのだが、この朝の川内村の気温はマイナス14℃。この冬一番の冷え込みだったそうだ。
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川越なう

 川内村役場と教育委員会で打ち合わせや情報交換ををして、メインイベントの消防署の検査を受けて、今川越にもどりました。

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 代表が川内村に行った朝がこの冬一番の冷え込みで、川内村の中心ともいえる町分で-14℃だったそうです。代表の家の水道も凍っていました。

 ひとの駅にも雪が吹き込んでいました。つい10年前までは、洟をたらしながらホッペを赤くしてここで勉強していたんだね。みんな逞しかった。

 なんだかんだいっても、少しずつですが川内村は活気を取り戻しつつあります。その話はまた明日に。

川内村なう

 今日は会社を休んで川内村へ。小雪が舞ったり北西風が吹きつけたりしてとても寒い。触れるものすべてが凍てつき、冷たい。

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 この時期に川内村でこんな天気が続くのは昔からで、この寒さが、自然も人も、すべての川内村の素晴らしさの源になってきた。好きとか嫌いとかの前に、ここが代表の故郷。

 明日は消防署の立会です。

猫足でパソコンを操作

 代表の机が確保されたのは良かったが、ひとつ問題が発生した。猫たちが、代表の机を踏み台にして寝床へ移動するようになった。

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 猫たちは、まず代表の机の上に昇って、矢印のルートをトントンと通って寝床である戸棚の上に到達する。
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軽トラ修理

 代表の軽トラは平成12年型だから、製造からもう13年も経っている。それくらいになると、調子はいいんだけれども、細かいトラブルが出てくる。今回はヒーターコントルールパネルのバルブがひとつ(パネルの左側の円の中)切れた。

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 走るには支障がないので面倒くさくてしばらく放っておいたんだが、不思議なもので、一ヶ所壊れると他のところまで壊れるような気がしてくる。それが毎日乗るたびに気になるので修理することにした。
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草野心平と辻まこと

 辻まことさんのことが詳しく書かれた『Day Art』というフリーペーパーを送っていただいた。

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 辻まことさんは草野心平さんと交流があり、心平さんが建てた辻まことさんのお墓が川内村の長福寺にあることをブログで紹介したことがあった。そんなことからいろいろ情報をいただけるようになり、代表も辻まことさんに興味がわいて少し勉強していたところだった。

 心平さんの日記の1966年のところにこんな記録がある。
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鎌倉散策

 おとといの土曜日、中学時代の同級生四人で鎌倉散策を楽しんできた。代表は中学の修学旅行に鎌倉へ行ったはずなのだが、ぜんぜん覚えていない。これが行ったと言う証拠写真。矢印が代表。

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 鎌倉だけでなく、江の島にも東京タワーへも日光にも行ったはずだが、それらの記憶がほとんどない。興味がないことは覚えられないものですね。もっと小さい時の泥鰌釣りのことは鮮明に覚えているのに。

 あの時代は川内村に一学年でこんなにたくさんいたんだね。
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「ふーぱこ」

昨日、「のば」について書いたあとで「ふーぱこ」という言葉を思い出した。

 農地改革の大規模な造成前。代表がのばで水遊びをしていた頃の川内村は、自然や景色が昔のままに残っていた。

          【写真:昭和19年頃の町分 -川内村史-】
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 山裾や田んぼや家の庭を小川が網の目のように通っていた。田んぼのそばを流れる底が泥の川でも水は清らかに澄んでいた。魚やエビ、昆虫なんかがたくさんいたなぁ。とくに泥鰌はどこにでもいた。川岸を歩くと、人影に驚いた泥鰌が泥にもぐる泥煙が次々にできたものだった。代表の子ども時代の遊びのひとつに泥鰌釣りがあった。
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「のば」

 こんな写真、公開しちゃっていいのだろうか。『川内村史-民俗編-』に掲載されているんだから大丈夫だろう。悪用する人もいないと思うが。写真の解説のところには「昭和20年代の水遊び」とある。児童と先生が、川内村のどこかの川岸に並んで写っている写真だ。

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 ほとんどの児童は素っ裸。中には、頭には手拭いをかぶって、チンチンはモロだしの男の子もいる。時代だねぇ。

 代表も、小学校三年生くらいまではこうやって素っ裸で水遊びをしたもんだ。水遊びだけじゃない。身体検査のときも素っ裸だったと思う。体育祭なんて、ショートパンツやトレーニングパンツなどというしゃれたものはなかったから、今でいう下着、白いトランクスとランニングシャツだけだった。座ると横チンが見えたりはみ出したりしていたなぁ。恥ずかしかったけど、そういうものだった。代表だけでなく、近所の子どもたちもみんな同じだったし。

 この素っ裸の状態を川内村では「のば」と言った。たぶん「ノーパン(パンツがNO!つまり、パンツなし)」が縮まって、さらに訛ったんだと思うが、戦後間もなく英語がポピュラーだったとは思えないので、語源はちがうところから来ているかもしれない。

 いまどき「のば」なんて方言を覚えているのは代表くらいだろうと思って、いちおう相双方言の泉、相馬弁保存会でチェックしてみた。悔しいことに載っていた。さすがだ。

『のば
 品詞:名詞
 意味:裸
 用例:「のばで川で泳いだった。」
 訳:「裸で川で泳いだんだよ。」』

 のどかでいいね、福島弁は。同じ裸でも、「裸体」や「露出」だと逮捕されそうな気がするけども、「のば」だったら許してもらえる感じがする。

川内村に生まれて良かった

 『草野心平日記』全7巻は、心平さんの没後に発見された1948年から最晩年の1988年までの日記や書簡をまとめたもので、2004年に思潮社から出版された。一冊約550ページ。各ページは写真のような小さな活字が並んでいるので内容的にも相当なボリュームだ。重さだって1キログラム(箱も含む)ある。

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 一冊の定価が8千円で限定1000部のみの発刊だから、総売上額はたったの5千6百万円でしかない。編集にかけた労力と原価、経費を差し引くと、ほとんど利益にならなかったにちがいないと思う。よくてトントン。もしかすると赤字だったかもしれない。なんだか文化貢献だけが目的だったようにさえ思える。良心的な本だ。

 すでに新刊の在庫はなく、手に入れたければ古書を捜すしかない。大きな図書館と文学部のある大学あたりが購入ストックして、残りが個人所有のはず。ゆえに、市場に出回っている数は少ない。が、あることはある。欠けている巻もあるが、何巻かAmazonに出品されている。相場はだいたい1万円前後。代表が捜していた4、5年前は、4千円前後の出ものもあったから、ずいぶん値段が上がった。心平さんの評価が上がってきたのだろうか。代表は、マメにAmazonをチェックして、ようやく7巻全部そろえた。

 用事のない休みの日の朝、近所のスタバでコーヒーを飲みながら『草野心平日記』を読むのが楽しみだ。代表の草野心平日記の読み方は、1巻から順番に読むのではなくて、適当に一冊を選んで持って行って、適当な年の、その朝と同じ月日のところから一ヶ月分くらい読むというやり方をしている。そうすると、季節と時代の移ろいを感じることができる。

 日記にはどろどろした内容も出てくる。それでも、メモみたいな文章だから、ほどほどにぼやけたソフトさ加減が、心平さんと心平さんを取り巻く人々の姿を遠くから映像的に眺めている感じでちょうどいい。また、川内村に滞在しているときの部分には、知っている人がたくさん登場するので、代表も現場に立ち合っているような感覚になってそれもまた楽しい。偉大な詩人の日記をこんなふうに楽しむことができるのは川内村民だけだろう。つくづく「川内村に生まれてよかったなぁ」と思う代表だった。

代表の1月の予定

 代表は、ここ10年くらいずっと、サポート事業とかひとの駅関係とかのまとめ仕事が必ず年末年始にあった。公的な補助を受けた事業というのは、この時期に中間的な実績報告と次年度の計画書を提出して、次年度の予算を申請しておく必要があるからだ。今回は、この恒例のまとめ仕事がなかったために、まとまった休みができた。

 それじゃ、どうしてそうなったかという話なんだが、それだけは先に報告しておかないといけない。年末にひとの駅の関係者で話し合った結果、まだ再開できる段階ではないだろうという結論になって、最終判断を役場に委ねることになったからだ。

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 理由はいろいろあるけれども、やっぱり川内村の人たちが帰れていないことがいちばん大きい。今、震災前の人口約3000人のうち、1000人くらいは帰ったといわれているが、まだ避難先と行き来している人が多く、実態としてはそれよりも少ないらしい。

 もちろん、避難したまま川内村には帰らないと決心した方たちもいるため、完全には元の川内村の姿に還ることができない。もどる意志がある村民の総数は2000人くらいのものらしい。それはそれで受け止めるしかないにしても、少なくとも、ひとの駅を支えていたスタッフや協力者、行政区の人たちがもどれないのでは、お客さんに喜んでいただけるような受け入れができる段階ではないという意見が大半だった。

 こういうように、お客さんのことを第一に考えられたからうまくいっていたんだろうと思うし、お客さんの多くが住んでいた海岸地域の復旧の目途も立っていないことなども考え合わせると、ひじょうに現実的な判断だと思う。代表個人としても同意見だ。

 しかし、役場の方からは早く再開して復興気運を盛り上げてほしい、と要望があった。収益が見込めない分は補助で担保するという方針もあったようだ。川内村の文化施設の天山文庫や草野心平記念館は、すでに再開していて、視察関係者などで月100名くらいの入館があるらしい。ひとの駅が再開しないなら、学校を他の復興事業で活用してはどうかという意見もあるとのことだった。

 ひとの駅は、元々川内村の持ち物だし、川内村の活性化のために始めたことだから、他の復興事業で活用したほうが現段階で村のためになるなら、そうしてもらうのがいいとひとの駅の関係者は考えて、そのように役場に伝えた。

 もうそろそろ役場の判断が出てもいいはずだが、まだ連絡がない。まさか、まだ手を付けていないってことはないと思うが、もっとも今から「再開に向けて動け」と言われても、時間的に無理だけど。

代表の今月の予定です。
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代表にも机が

 昨日から、代表にも机が与えられた。中3の息子からのお下がりだが、この机を代表の寝室に置いて、その上にパソコンを置くようにした。これで、メールやブログの更新に集中できるようになった。

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 というのも、これまではリビングのテーブルの上にパソコンを置いて、家族で取り合って使っていたため、テレビの音や家族の会話が飛び交う中で書き込みに集中するのがとってもたいへんだった。パソコンの取り合いは依然変わらないが、ちょっと静かなところで気兼ねなくパソコンが使えるようになった。もう夜中でも大丈夫。でも、頭の中味は変化なしだから、素晴らしい内容の記事が書けるようになるということではないです。

 ところで、息子はまさにこれから高校の受験だというのに、机がなくても大丈夫なんだろうか。今もマンガを読んで笑っているが、つくづく親に似るもんだと感心してしまう。

出社拒否

 早朝のファミレス通いも9日目。皆勤賞だ。早朝の客はだいたい同じ顔ぶれだということに気付いた。しかもほとんどが老人で、一人。その表情に喜びというものがあまり感じられない。ついつい「家族はどうしたのかなぁ?」と考えてしまう。まあ、代表も見た目は寂しそうな老人だったわけだ。

 でも、代表は、読みたかった本の読書だけに集中したものだから頭がやたら活性化して、時間が足りないくらいだった。また、家族と長い時間ずーっと一緒にいられたので、一日が可笑しくて楽しくて充実していた。しかし、みなさんには不義理をして申し訳ないことをした。

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 代表の冬休みも今日で終わり。明日からまた仕事だ。気持ちを切り替えないといけないのだが、あまりにもまったりし過ぎてしまって切り替わらない。あー、会社に行きたくない(笑)。

独居老人

 代表はサラリーマンだから、働くところは会社、家はくつろぐ場所と決めている。そこんところのけじめをしっかりつけないと、家族も代表もストレスになってしまう。独身時代は家でも仕事をしたり本を読んだりしたけど、結婚してからは一切やめた。

 本ぐらいは家で読むこともあるが、テレビがかかっていたり話しかけられたりして、集中できないから頭を使う本は無理なのでほとんどは雑誌のようなものだ。真剣に本を読もうと思ったときには、スタバみたいな喫茶店に行く。

 休みになった12月29日から今日まで、毎日早起きして、読みたい本を2、3冊鞄につめて、24時間営業のレストランへ行っていた。すべてを無にして、書物の世界に入り浸る時間は至福だ。最高の贅沢。もう六日間もそうしている。

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 ところで、早朝のレストランはいつも空いていて、客といえば、徹夜でおしゃべりをしている若い人か、どこかで酒を飲んで帰りそびれた人たちのグループが二つか三ついるくらいのものだが、中に時々、老人一人の客がいる。座ったまま眠りこけていたり、厚い老眼鏡をかけて本を読んでいたり、手帳にメモをとる人たち。この老人たちは、こんな時間に、どうして一人でいるんだろう?と、ちょっと寂しい想像が湧いてくる。

 家に帰って家族にその話をしたら、「それって、お父さんのことじゃない?」と言うのだった。

 確かに。ボロボロのキャップをかぶって、着る物がないのかと思うくらい薄着で、擦りきれたカーゴパンツにヘビ革のサンダル履きの初老の男が、チャックがしまらないくらい本をつめた鞄を抱えて毎朝軽トラから出てくるわけだ。これじゃ、どうしたって独居老人にしか見えない。代表も寂しい老人に見られていたんだろうね。

 独居老人は明朝も本を抱えて行ってきます。

ひきこもり

 たぶん物心ついてからはじめて何にも予定がない年末年始でしたので、思い切ってなんにもしないでひきこもっていました。

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 毎日毎日、朝から晩までずーっと本を読んだり音楽を聴いたりしてたっぷり充電しました。ボチボチ元のペースにもどしていきたいと思います。

あめましておめでとうございます

 あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願い致します。

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                                          2013年 元旦 代表