2012年09月の記事 (1/1)

バイク仲間との宴会準備など

 次の日曜日の10月7日は、バイク仲間が20名ほど川内村に遊びにきてくれる日だ。夜は、知り合いの山荘を借用して宴会をすることになっている。そのための準備をしないとならないのだが、今度の土曜日に天気が悪かったりするとできなくなるので、今週末にできることはやっておくことにした。

 大事な酒の買い出しから。

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 三春町に行ったついでに船引町のショッピングセンターに寄って、依頼があった量を仕入れる。ビールに焼酎にワイン。こんなにたくさん飲めるのかな、と心配になるが、足りなくなっては宴会が盛り上がらないだろう。こういうものは余るくらいがいいんだろうね。ビールは忘れないで冷やしておかないと。

 薪ストーブの薪が少なくなっていたはずなので、軽トラで運ぶ。
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代表が会いたかった人

 今年1月にIさん(写真左)とかわうちの湯で再開したときに、いわき市から食糧の移動販売車が来てくれて助かっている、という話は聞いていた。週2回、決まった曜日の決まった時間に、家の玄関先まで販売車を入れてくれて、体調が悪くて販売車が来たことに気づかずに寝ているようなときでも、声をかけて起こしてくれるということだった。

 商売とはいえ、道路が凍結している真冬に、遠いいわき市から川内村まで惣菜を運んでくれる奇特な人って一体どんな方なんだろうかと、代表はずっと気になっていた。どうしても一度会ってみたいと思っていた。

 それで、何度か待ち伏せしたことがあったのだが、どうも時間と場所がずれていたらしくて遭遇することができなかった。きょうこそは!と思って、Iさんに時間と場所をきちんと再確認して待っていて、ようやくお目にかかることができた。ディズニーのエレクトリカルパレードの音楽を鳴らしながら現れたその人は、イメージしていたとおりの優しそうな方(写真右)でありました。

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 移動販売車の出発点は、いわき市でも川内村からだといちばん離れる方向の、小名浜なんだそうだ。
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川内村の栗ご飯

 晩ご飯は何にしょうかと考えていたところへ、義母ちゃんが軽バンでブブーっとやってきて「あんちゃん。栗ご飯つぐってきたがら、食わっしぇ。」と、ほかほかの栗ご飯と、厚切りのキュウリとナスの浅漬けをおいていってくれた。いや~、ありがたい。

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 早速口いっぱいに頬張る。
んまーーい!これだけあればあとはなんにもいりません。

花門で歓迎会

 家内の話だと、代表は昨夜二回うなされて叫んだらしい。家内が驚いて目が覚めてしまうくらい大きな声を出したそうだ。どんな夢を見たのか。怒ったのかそれとも怖かったのか。代表にはまったく記憶がない。出張して、仕事が目論見通りにいかなかったので悔しかったのかもしれない。代表もうなされたりするもんなんだねぇ。自分でもびっくりだ。

 今宵は花門で6年間タイに駐在して帰還した同僚(マンスールさんの左)の歓迎会。

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 とっても楽しい酒と話で、疲れや悔しさも吹っ飛んだ。たぶん今夜はうなされないと思います。

ギャラリー代表

 片付いた代表の部屋の壁に画を架けてみた。ギャラリー代表、誕生だ。

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 コーヒーを飲みながらゆっくりと鑑賞。いいもんだなぁ。これからいろいろな作品を架けようと思う。

井出正人著『満天星』より その5 -山村川内の幕末史 長福寺の隠し部屋-

 今日は69ページの内の11ページから15ページにかけて、長福寺の隠し部屋という話を紹介しよう。
平城から逃れて上川内村に着いた安藤信正公は、村の禅寺長福寺の隠し部屋で四日間を過ごした。

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 わずか四日間のことではあったが、その間の心静かな時が、「川内村を戦場にしない」という冷静な判断を導くことになったのではないかと、著者の井出正人さんは分析する。
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川泰の寿司

 いやー、何年ぶりだろう。川泰の寿司を食べたのは、5年前か、それ以上だ。

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 とにかく早く親父に食べさせたくて、8月にオープンしてから何回か訪ねたもののずっと空振りが続いていたが、ようやく食べさせることができた。山の中の川内村に寿司の名店があるなんて信じられないかもしれないけど、あるんだよ。

ヘビがきらいな人はスルーしてください

 何を隠そう、代表の部屋には隠し部屋がある。平のお殿様が潜んだ長福寺の隠し部屋のように本格的なものではないが、高い天井の下に高さ120センチメートルほどのスペースを代表が自分で作った。階段はつくっていないので、脚立でしか上がれない。代表の物置きと、子どもたちがマンガを読むときの隠れ家になっている。ここも片付けないといけないのだ(笑)。

 どんな塩梅か見てみようと脚立を上がっていったら、反対側の梁にへんな紐のようなものが垂れ下がっている。どこかで見た記憶がよみがえって背中がゾクッとした。

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 ヘビが脱皮した抜け殻だ。
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また片づけ

 今朝の川内村の気温は、家の中で21度。おもわず「寒い!」という言葉が出てしまう。山々もわずかに色づきはじめている。栗やアケビが最盛期のはず。山へ行きたいが、やるべきことを終わらせないといけない。家の片づけだ。何度話題にしただろうか?代表の部屋の散らかり具合と片づけのこと。資料も物も頭の中もぐちゃぐちゃになっていたところへ、お盆に家族が来るときに暫定的に仕舞い込んだのが祟って、さらにわからなくなっている。

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 これを整理しないと、何をやるにも探すことから始めないといけないので効率が悪くてしょうがない。
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ハッピーバースデー・・・

ハッピーバースデーto代表でした。バースデーケーキならぬバースデーサラダだ。これで390円!

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 代表の57才?58才?もうどっちでもおなじようなもんだけど、誕生日は、家族で花門でお祝いをしてもらった。長女からのプレゼントは、赤いチャンチャンコではなく、靴下とバンダナと似顔絵のカード。

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 いい気持ちに酔いました。ひと眠りして、川内村に出発します。では、川内村で。

初めての海外旅行

 我が家で初めて海外旅行に行くのは、代表ではなく高2の次女。
夏休み前に「バイト以外なんにもやることがな~い」と言うので「旅行代を出してやるから海外でも見てこい!」と言ったらその気になった。心配だからということで、家内も一緒に行くことになったらしいが、パスポートを申請したり、どの国にするか比較検討したり、チケットを予約したり、家内よりもよっぽどしっかりやっていた。

 代表も、川内村に置いてあるこのスーツケースを持ってくるよう仰せつかった。ちょっと小さくて機内に持ち込めるので、3,4日の旅で乗り継ぎがあるときなんかに使いやすい。

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 出発の日が近づいてきたところで、行こうとしている国で反日運動が勃発してキナ臭くなってきた。国民感情と安全上、双方のツアーのキャンセルが相次いでいるらしい。娘が「お父さん、キャンセルしたほうがいいかな?」と聞いてきた。

 「こんなチャンスはめったにないから、お父さんなら余計に金を払ってでも行くよ。」と代表が言うと、「そうだよねー」と楽観的な娘。やっぱり代表の娘だと思った。

思い込み

満天星の紹介が三日続いたので、きょうは別の話題にします。

 代表はスギ花粉症だ。
二十歳のときに福島を出て横浜に住むようになってから症状が出はじめて、それからは、春先から5月末くらいまでず~っと薬物、つまり飲み薬&目薬&点鼻薬の三点セットのお世話になる。

 いつからか。たぶん7,8年くらい前から、6月になっても7月になっても、年によっては秋になっても冬でもアレルギー症状がでるようになった。あー、ついにヒノキもヨモギもイネ科もブタクサにも反応するようになっちゃったのかと、ちょっとガックリきた。

 そう思い込むと、バイクに乗っていても、アレルギー物質が飛んで来る気がして涙や鼻水やクシャミが出る。気管支がヒューヒューと音がするときもある。このままじゃいけない。そろそろ根本的な原因を見つけて治さないといけないなと考えて、病院で採血して検査してもらった。

その結果がこれ。
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井出正人著『満天星』より その4 -山村川内の幕末史 惣兵衛の口伝 その1-

 川内村の人々にとって殿様がいかに特別な存在であったか。戊辰戦争がいかに大事件であったか。井出正人氏の曾おじいさんの惣兵衛さんが残されたという口伝を聞いてみよう。

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『 私の曽祖父、惣兵衛から代々語り継がれた口伝によれば、十四日の夜明方名主秋元權十郎(ごんじゅうろう:代表注)様が惣兵衛、惣兵衛と息をはずませてくる。

 平のお城が落ちてお殿様や藩士達が今日、上川内へ落ちのびて来るというから、これから出迎へにゆく、皆んなに知らせて粗漏のないようにと注意し猟師二名を引きつれてあたふたと出て行った。
 これは大変と隣の幸七と勇助に知らせ道端のやぶを刈ったり、庭先や家中を掃き清め待つほどに、夕方近く名主秋元權十郎様が惣兵衛、平のお殿様がお出でであると言うので父定蔵と共に土下座して平伏した。お殿様は縁側に腰を下し、暫く休んでから出立、木戸川の渡しを通り、町集落の方にゆく。長福寺にお泊りになる。

 井出惣兵衛は弘化二年生まれであるから当時二十三才。妻カクは弘化三年生まれで二十二才。長男武八が生まれて一ヶ月経っていた。

 惣兵衛は、明治に入って上川内村と下川内村が合併して川内村となってから、二代目と五代目の収入役と四代目の助役を務めている。 』

 疲弊し憔悴した平城のお殿様と藩士たちは、長福寺と村内の家に分かれてしばし滞在することになった。

井出正人著『満天星』より その3 -山村川内の幕末史 平城落城-

 戊辰戦争という歴史の大きなうねりが、川内村にもさざ波を立てた。平城が陥落し、家臣とともに仙台領に向けて逃れようとする安藤正信公一行にさらなる不幸が襲った。よほど過酷な逃避行だったのだろう。川内村に入る前に幼い姫が力尽きてしまった。

 ようやく川内村にたどり着いた安藤正信公一行を、井出家を中心とする村人が迎え入れ病の姫を助けようと奔走するのであったが、しかし、すでに手遅れの状態だった。

      【写真:村人が奔走した上川内の集落】
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 村の人たちは、幼い姫の遺骸を埋葬して手厚く供養し、安藤正信公一行は再び仙台領を目指して歩きだした。そういうできごとが、幕末の動乱の中の小さなひとコマとして川内村にあったのだった。

 それから百年余り。長い時を経て、幼い姫の墓碑の前で双方の子孫が会いまみえ、それらのことを安藤家第十六代当主の安藤綾信氏が『満天星』の発刊に際して寄せた。敗軍の将の末裔として安藤綾信氏が感じたのは、人間がつくる歴史というものの無情であったろう。それでは、川内村の人たちの目にはどう映ったのだろうか。

 最初に井出正人氏は、史実とその裏付けとなる史跡について記す。
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井出正人著『満天星』より その2 -御発刊によせて-

 川内村のある阿武隈高地と長野県地方は、縄文の古代からマタギや流浪民の移動を通して民族的にも文化的にも深くつながっていたようだ。したがって、室町時代に長野県松本地方の豪族遠藤筑前守藤原朝臣親政が、遠い川内村の台窪館に居を構えたことも、豪族が領地を増やすという自然な流れの中で進行したのではないかと代表は考えている。

 いつの頃からか川内村は天領(幕府の直轄地)となっていた。平藩と三春藩と相馬藩の中間にあったために、各藩が争わないように中立地帯を設けたものらしい。それから『満天星』で詳しく語られる幕末まで戦場になることもなく、隠れ里のようにしてゆっくり時間が流れていたことだろう。

 慶応4年(1868年)に勃発した戊辰戦争は、薩摩藩・長州藩らを中核とした新政府軍と旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦で、旧幕府軍は明治新政府軍に破れ福島県内の各藩も降伏した。その中で起きた小さな平藩の落城のことはWikipediaにもあまり記載がないほど日本史上さな出来事だったが、平和だった川内村にとっては一大事件だった。

 いよいよ『満天星』の中心的部分に入っていく。

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 まず、平城落城時の城主の安藤家十六代当主 安藤綾信氏が発刊に際して寄せられた文章から。
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フリーマガジン『PARTNER』

 ある晩、代表はある人を訪ねて都内某所に向かった。代表の会社がある埼玉県朝霞市の東武東上線朝霞台駅近くの社員駐車場で、狭い車の中で汗だくになりながら清潔な服装に着替え、朝霞台駅に隣り合っている武蔵野線の北朝霞駅から西国分寺駅へ。そこで中央線に乗り換えて東京方面に向かってひと駅目。目的地の国分寺駅に到着。ここに美大生がつくる『PARTNER』という美大生向けのフリーマガジン『PARTNER』の編集部がある。

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 代表は、ひとの駅のような美術情報やイベント情報を伝えるにはどんな方法がいいかということいつも考えている。美術系のフリーマガジン『PARTNER』があるという情報を教えてもらってから、フリーマガジンというのはどういうものなんだろう?どういった人たちでつくられているんだろう?ということが知りたくなって、無理をお願いして編集の方にお話を聞かせていただくことになったのだった。
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アイディアが溢れれすぎ

 やることはどんどんふえる。
去年S2000の幌を交換したときに外したときにとっておいた古い幌を洗って、余分な部分を切り落として、屋根カバーを作るときの型紙にしようって魂胆だ。

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 屋根カバーは、屋根が汚れないし劣化もすくないのですごく重宝なんだけど、ボロボロになっちゃったからね。このままカバーにしてしまうっていう手もあるなぁとか、いろんなアイディアが湧いてきて困ってしまう。アイディアと同じくらい髪の毛も湧いてほしい。

代表のコレクション

 代表は絵を六つ持っている。自分で求めた作品が二つと、いただいた作品が四つ。ひとつひとつに思い出と物語がある。自分で求めた作品のうちひとつは、川内村在住の作家川井弘子さんの作品だ。初めてお宅に最初にお邪魔させていただいたときに目にして、なぜかその絵のことがいつまでも忘れられなかった。

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 一年くらい過ぎて、ひとの駅で川井さんの作品展を開催したときにこの絵に再会した。代表はほしいと思ったが、川井さんが作品を譲らない方だと聞いていたので、直接そういうお願いをすることはなく、誰とはなしに自分の気持ちを話した。幸いというか、その話が川井さんに伝わったらしく、とくべつに譲っていただけることになった。代表はただただ好きな作品を傍における嬉しさでいっぱいになり、川井さんに話をつないででくれたどなたかに感謝した。

 さらにそれからしばらく経ってから、この作品のモデルの娘さんの名前は「ちひろちゃん」だと川井さんが教えてくれた。このときのちひろちゃんは小学校の高学年か中学生になったかくらいで、家計を助けるためにアルバイトでモデルをするがんばり屋さんだったことも教えていただいた。

 そのとき、代表はなぜこの作品にあれほど強くひかれたのかがわかった気がした。きっとちひろちゃんがんばり屋さんだということが伝わったからだと思った。それからこの絵がもっと好きになった。

イナゴの佃煮

 代表の場合、週末に川内村にいる間の食事は外食できればいちばんいいのだが、行動が不安定なこともあって、数少ない食堂をあてにすると食いはぐれてしまう。それで、いつもはインスタント食品やカロリーメイトやお菓子などをストックしておき、また、残ったパンやご飯を冷凍庫で凍らせておいて、食糧を持たないで行っても一週間くらいは食べられるようにしてある。だが、お盆前にそのストックが切れたので、調達するために小野新町のヨークベニマルに寄った。

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 このヨークベニマルに来たのは十何年かぶりだ。常磐道ができる前は、東北道を矢吹インターで降りて、平田村から小野新町を経由して川内村へ帰ったので、その途中にここでお土産を買ったりしたことがあった。子どもが小さいときには、町内のリカちゃんキャッスルへ行ったついでに買い物をしたが、それもずいぶん以前のことだ。遊びにしても買い物でも、海側へ行くことのほうがはるかにおおかった。でも、今はそうはいかなくなったから、船引町よりもこっちが近いようだし、しばらくの間、食糧の調達にはここを利用しようと思う。

 ここでなつかしい食べ物を見つけた。なんとイナゴの佃煮。
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井出正人著『満天星』より -台窪館と虚空蔵様-

 先日、『満天星』の著者井出正人さんを訪ねました。大正6年生まれの井出正人さんは現在95歳。ご自宅の戸をすべて開け放った、秋風が通るようにした部屋のベッドで休んでおられました。満天星の内容を紹介させていただきたいという代表の話を娘さんが取り次いでくださり、快諾いただきました。今回から少しずつ紹介していきたいと思います。

 満天星には、室町時代から昭和までの川内村の歴史、民話、井出正人さんの随筆が記されています。この歴史の中には、幕末の動乱に巻き込まれる川内村や、国にすべての土地を取り上げられて、引き戻すべく国を相手に戦った明治から昭和の裁判史などがあります。その時々の苦難に立ち向かい、克服してきた川内村の人々の姿が記録されており、震災から復興しようとしている今の川内村がどう進んだらいいのかのヒントになるものが隠されているかもしれません。わたしが知り得る情報と合わせて紹介していきたいと思います。

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 文章は、基本的に原文のまま書き写しますが、明らかに誤植と考えられるところについては代表の判断で補わせていただきました。さらに、ブログとしての見易さ読み易さを考慮し、句点読点、改行等についても一部アレンジさせていただきました。内容に影響はないと思いますが、もしそのようなところがあったと感じられた場合はご指摘いただければ幸いです。

 紹介する順番については、古い時代から新しい時代へとしたほうがわかりやすいと思い、目次にはこだわらないで進めさせていただきたいと思っています。

 また、満天星に対するご感想、ご意見、井出正人さんに伝えたいことや確認したいことなどがあるかもしれません。お寄せいただいたものにつきましては、わたしの方で責任を持って伝えます。

 それでは、第一回目は「台窪館と虚空蔵様」というお話です。
室町時代の川内村と、川内村に多い苗字「遠藤家」のルーツが明かされます。
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川内村の秋

 明け方に寒くて目が覚めた。布団をけとばしてしまい、体にかかっていなかったせいだ。布団をひっぱりあげてエアコンもいらず、ひんやりとした自然の冷気の中で、大の字になってまどろむ。再び眠って、スッキリと目覚めたのが6時だった。

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 起きたら、秋だった。
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水道のポンプ交換

 水道のポンプ交換は、いつもひとの駅の設備関係をお願いしている川内村の設備屋さんに頼んだのだが、昨夜、川内村に向かっているときに「用事ができたので代わりに名人を派遣する」という電話があった。名人とは誰かと思っていたら、交換に来たのはご近所のはとこのK君だった。K君のお父さんと代表のお袋はいとこだ。

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 代表の一族は、399号線沿いの両側約400メートルの間に、本家から分家まで5軒の親戚が並んで住んでいる。K君の家もそのうちの一軒。震災前は富岡町で設備業をやっていたが、今は郡山市の仮説住宅と川内村の実家を行き来しながら、あちこち忙しいところの仕事を請け負っているそうだ。
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村長室の明かり

 午後7時過ぎ。
川内村役場の村長室にはまだ明かりが灯り、村長と副村長の頭だけが見える。お二人とも白髪が増えたように思える。

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 苦労が報われる日が来ますように。

磐越道小野インター経由川内村

 代表ひとりで川内村へ行くときには、常磐道をいわきインターで降りて399号線の山道を通るのだが、ご存じの通り399号線はひどいケモノ道なので家族が車酔いする。それで、磐越道の小野インターを経由したらどうだろうと思って通ってみた。写真は、小野インターを降りて一般道に入るところ。

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 ここを右折して、小野新町の中を抜けて、やっぱり山道を走って川内村の4区を通ってJA前に至るのだが、399号線を使うよりは山道の距離が短い。トータルの走行距離はやや長いが、富岡インター経由よりは短いようだ。ん、これだったらゆっくり走れば大丈夫だろうと思ったが、やっぱり家族は酔った。

 はやく富岡インターまで通れるようにしてもらわないと。

満天星

 満天星と書いて「どうだん」と読む。川内村の元教育委員長の井出正人さんに平成四年初版発刊の同名の著書があり、名文で幕末以降の川内村の歴史や民話、ご自身の随筆を記されている。

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 満天星は末永く守りたい川内村の大切な財産だ。その中の随筆『満天星』の書き出しの部分を紹介しよう。
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寿司から学んだこと

 代表が利用しているブログはFC2の無料版というタイプだ。広告が入ることと、いつなくなっても文句が言えないことが利用条件になっている。時々更新に時間がかかることがあるのを除けば、これといった不具合もなく気に入って利用している。しかし、昨夜は「緊急メンテナンスのためご迷惑を云々・・・」というコメントがでて書き込みができなかった。前置きが長くなったが、昨日のブログを休んだのはそういう理由でした。
ではまた再開します。

 代表の親父は寿司が大好物だ。握りたての寿司を食べさせたいと思って川内村の寿司店に向かったのだが、駐車場に着いたのと同時に、目の前で戸が閉まり「仕入れのため臨時休業します」の紙が貼られてしまった。これには残念だったけど、今の状況でもネタが切れるくらい繁盛していることは喜ばしいというべきだろう。

そのままでは期待させた親父に申し訳ないと思って、船引町のイオンドール前のかっぱ寿司まで車を飛ばし、親父の好きなイカを中心に美味いところを詰めて帰った。喜んでくれたよ。ついでに代表の分も適当に詰めてきた。冷蔵庫にあったワインをグラスに注いでしゃれた夕飯になった。

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 寿司を食べると必ず思い出すことがある。
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もう息切れ?

 「川内村は頑張っている」
 「川内村は復興している」
 「川内村は一体感がある」
 「川内村がうらやましい」

 そういう声を聞くことが多く、そう言っていただけるのは川内村出身の人間としてたいへん嬉しい。代表も川内村は頑張っていると思うし、除染も進んでいる。でも、何かちょっと忘れているというか、息切れでもしているのかなという感じがする。震災直後にあれほど乱立した「がんばろう福島」の幟は、今は県内のどこでも放置状態だ。

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 ほんとうに大事なスローガンだったらこうはならないと思う。修理されるか、新しい幟に代えられるかしているだろうし、目的が終わったのなら回収されるだろう。
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代表の予定・・・9月

 月曜日から新学期が始まるので、息子に手伝わせてパンクしていた息子と娘の自転車を直した。その他の不具合も確認して修理。

 息子も娘もメカニズムを理解していないから、トラブルの初期の段階で手当てすれば壊れなくてすむのにダメージを大きくしてしまう。タイヤの空気が減ってきたら入れればいいのに、そのまま乗り続けてパンクさせてしまい、ひどい時にはタイヤもチューブもボロボロにしてしまう。息子には機械に興味を持つようになってほしいので一緒に手伝わせた。最初はいやがっていたが、そのうち面白がってやりだした。

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 代表がはじめて自分でパンクを直したのは、たしか小学校2年生のときだ。当時としては珍しい子供用の自転車を持っていた。この自転車は、親父がバイクを買ったときにおまけで付けてもらったもので、クリーム色と淡い黄緑色のツートンカラーだった。親父の仕事は林業で土日も休みがなかったので、自転車がパンクしてもなかなか直してもらえなかった。やむなく、見よう見まねで自分で修理するようになったのだった。それが今の代表につながっている。さて、この息子は?

 代表の9月の予定です。
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